2018.10.15 Monday

Yuzu fairy

 

久しぶりの更新です。

 

サン・チャイルドのことでは、ほんとに疲れきってしまいました。

撤去はされたけれど、心に刺さった棘の痕はまだ痛いです。

形ある棘は抜けたとしても、

刺さった棘の傷痕は簡単には治らない。

 

難しいことは考えたくない。

見たいものだけ見て、

聞きたいことだけ聞いて、暮らしたい。

そんなふうに、このごろ思います。

 

それじゃだめだと言われるだろうし、

そうなんだろうけど、

見たくないものを無理矢理見せられ、

聞きたくない言葉を聞かされて、

そうやって、この7年半暮らして来ました。

一生分体験したような気がします。

だから、

優しいもの、優しいことば、そういうものに囲まれて暮らしたい、

私は、このごろそう思います。

 

 

※ 画像はサムネイルになっています。画像をクリックしてごらんになってください。

 

 

昨日は、ゆずちゃんを描いていました。

ゆずちゃんは、柚子の妖精です。

 

私もあったかい落ち葉に包まれたら、

刺さった棘の痕も治るかな・・・。

 

 

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    2018.08.18 Saturday

    福島市長 木幡浩様

     

    福島駅東口近くの教育施設こむこむ前に

    サン・チャイルドという6メートルの巨大な子どもの像が設置されました。

    その像設置にあたり市民はじめいろんな方が、

    その像に対する違和感を表明しました。

    設置を決めた市長に対し抗議を申し入れる人たちもいました。

     

    福島市設置の人形に批判相次ぐ

     

    私も一人の市民として、ぜひ、市長にわかっていただきたいことがあり、

    8月10日に、そのことをメールで伝えました。

    そのメールを転載いたします。

    なお、このメールは、

    ツイッターに連続ツイートしたものを一部修正したものです。

     

     

    *****

     

     

    私は、福島市に住む60代の主婦です。

    進学のために福島を離れ、その後東京に住みましたが、

    戻ってきて20年以上住んでいます。

    そういうひとりの市民の声を聞いていただけますか?

     

     

    福島市長 木幡浩様

     

     

    実は、市長にわかっていただきたいことがあります。2011年のことです。秋に福島市では例年通り東日本女子駅伝が開催されました。

    2011年の秋ですから、まだ混乱は続いていましたが、福島市民は東日本女子駅伝の成功を願い、当日沿道にはたくさんの市民が応援に駆けつけました。フルーツラインでは果樹園経営者が豚汁をふるまい雰囲気を盛り上げ、お年寄りからお子さんまで、選手たちに声援をおくりました。

     

    ところが、開催日の数日前だったと思いますが、防護服を着てガイガーカウンターを持った人たちが現れ、市内の側溝の上などの線量を測り始めたのです。福島市民は防護服を着る必要などまったくない環境にありました。そこに、突然現れた防護服姿の人たち。そして、防護服を着て線量を測っている姿を写真に撮り「こんなに高い!」とネットにアップしたのです。側溝の真上にガイガーカウンターを置けば、ある程度の数値は出ます。でも、その数値は1時間そこにいたときの数値であり、1時間いても問題は無く、まして、通り過ぎる選手に影響はありません。

     

    しかし、その防護服姿のひとたちの中には、東日本女子駅伝を「殺人駅伝」と言って攻撃するひともいました。私は、あのときの悔しさは忘れられませんし、心の中に深い傷となって残りました。防護服とガイガーカウンターにはそういう苦しい思い出が重なるのです。まったく福島市では着る必要の無い防護服を着て現れたひとたちは、そこに普通に暮らすひとたちの尊厳を深く傷つけたと思います。その後も、間違った知識で「福島には暮らせない」と言われたりしました。そういう中で、7年かけて少しずつ心の傷を修復してきました。

    私の心の傷を修復してくれたのは、ずっと変わらずにある花見山であり吾妻山であり、そして、日々少しずつ、以前の福島市に戻っていくことが感じられる人々の暮らしでした。普通であることが何よりうれしかったのです。放射線を意識しない普通の暮らしが取り戻されたのです。

     

    ところが、それから7年後、突然、防護服を着て線量計を身につけた巨大な物体が福島市に登場しました。そして、それは復興のシンボルだと言われました。私には2011年秋の防護服姿とガイガーカウンターの再来に思えました。見たくない!それが正直な感想でした。やっと修復されてきた傷がまた開きました。

    やっとやっと普通にもどれたのに、いやなことを忘れて暮らせるようになったのに「思い出せーー!」と肩を揺さぶられたような衝撃でした。福島市に暮らす人たちはいろんな形で傷ついてきたと思います。どうか、その傷口をえぐるようなことはしないでください。

     

    「良かれと思って」となされたことが、押し付けであったり、強要であったりすることがあります。福島の野菜は何の問題もないのに「安全な野菜です」と他から送られたときの悲しみは、とても深いものでした。そういうことに苦しんできた年月でした。「ゼロで無いからだめ」と言われ、絶対に不可能なゼロベクレルを要求され苦しんだ農家もありました。だから、どうか「あれはアートなのだからご理解ください」ではなく、市長には、この7年5ヶ月の福島市民の暮らしと心情を理解しようとしていただきたいのです。市民に真に寄り添っていただけると信じ、メールをさせていただきました。

     

        

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    2018.08.17 Friday

    秋の風

     

    8月17日、

    たった1日で夏から秋になった。

    風も空の色も秋だ。

     

    昨日、夕方、

    夫が「夕焼け、見てごらん」って言ったので2階のベランダから見た。

     

    天女が降りてきそうな空だった。

    見たことがないような水色の空と、

    朱鷺色に染まった雲が、あった。

     

    「まるで、海の中にいるみたいだね」って話した。

     

    少しずつ変わっていく空の色をずうっと見ていた。

     

    こんなふうに静かな気持ちで空を見上げることができたのは、

    何日ぶりだろうと思った。

    少しは穏やかになれたかなと思ってうれしかった。

     

    夜、寝る前に私にとってはショックなことがあって、

    取り乱した。

    見なければいいものを見てしまった。

    やっぱり心は回復していないんだなと思った。

     

    私はソフトランディングが苦手で、

    夫は、

    「あなたは、いつも特攻作戦。

     突撃していってバタッと倒れるタイプ」

    と言う。

    その通り。

    本当に、徐々に・・・ができない。

     

    このままだと、ほんとに倒れてしまうなと思った。

    だから、昨日、持っているアカウントを閉鎖した。

    予定では、5月にあふらんから隠居するつもりだった。

    そして、

    隠居後のためにと別アカウントを作っておいた。

    別に隠す必要もないですしね。apillanですよ。

    (それから、ツイッターをやめるなんて、ひとことも言ってないです、念のため)

    apillanでは、難しいことは何も言わずに、

    隠居生活を楽しむつもりだったけど、そこも昨日閉鎖した。

    やはり、今起きていることに首を突っ込んでしまう。

    そうやってずるずると引きずってしまった。

    ※ 今日、あふらんのみ再開。RTといいねに専念する。

      サン・チャイルド関連情報拡散に役立てたいと思った。

     

    写真のモーメントを作り終えたら、

    あふらんからは、それを記念として隠居するはずだったんだけど、

    今回のような思いがけないことが起きて、のびのびになってしまった。

     

    3ヶ月遅れの隠居記念日。

    今までの過去は否定しない。

    誰のためでもない、

    自分がやりたかったからやってきたんだ。

    最後は疲れ果てた終わり方になったけれど、

    アスリートだって、そんなふうに終わる人もいる。

    だからといって、

    そのアスリートの過去が否定されるわけじゃない。

    それと同じだから・・・って、自分に言ってきかせた。

        

     

    結弦さんのことを考える余裕もなかった。

    どうしているかな〜。

    あと少しで、オータムクラシックだね。

     

    また、私の心のコップのひびを直してくれるかな?

     

           

    追記・・・

     

     

    ずっと精神が安定しなくて、

    やたらとしゃべりまくったり、

    何も話さなかったり、

    泣いたり、

    死んでしまいたいと思ったり、

    そういう日が1週間近く続いた。

     

    私はどうなってしまったんだろうと思った。

    きっと心の底から悔しかったんだろうと思う。

    今までもこんなふうに、何度も何度も悔しさをぐっと飲み込んできた。

     

    「今までだって、こんなふうに悔しいことは何度もあったし、慣れてきたし」

    と私が言ったら、

    「悔しさに慣れなんてないよ」と夫が言った。

     

    「ずっとチクチクと傷ついてきたんだ。

     小さな傷が繰り返しできて、それが積み重なって、

     金属疲労で金属が折れるように、心が折れたんだよ」

    と言った。

     

    そうか、心の金属疲労なんだな〜。

    黄色い物体とそこに凝縮された人間の醜さの塊が

    私への最後の一撃になったんだなって思った。

     

    放射線による健康被害はなかったけれど、

    「心災」は間違いなくあったし、

    それが最大の被害だったと私は思う。

     

     

     

    私には私の復興のシンボルがある。 

    だから、外から押し付けられる復興のシンボルなどいらない。   

     

               

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    2018.08.03 Friday

    後悔を受け入れることも

     

    2011年8月16日のブログ記事です。

     

    7年前の今ごろ、

    子どもを守りたい、後悔したくない

    そういう言葉をよく耳にしました。

     

    我が子のことを思って、

    多くの親御さんが試行錯誤をし

    悩まれていたのでした。

     

    まだまだ情報が錯綜していた時期でもありました。

    喧騒の中にあったように思います。

    そういう状況を見て、

    私が思ったことを書きました。

     

     

    *****

     

     

    後悔を受け入れることも

    (2011年8月16日のブログ記事から転載)

        

     

    後悔したくないから・・・
    このごろ、この言葉をよく目にします。
    大切な人のため
    子どものため
    後悔したくないから・・・

    どうして後悔したくないの?

    それは大切な人を守りたいから
    わが子を守りたいから
    に、決まっているじゃないですか、
    大切な人のため
    わが子のために
    後悔したくないのです、

    という答えが返ってくるでしょう。

    きっと、そうなんだと思います。
    大切な人を守りたい、
    だから、
    後で後悔しないように
    やれることは全部したい
    そう思うのは当たり前だと思います。

    でも、
    もしかしたら、
    後悔するのが怖いから・・・
    ということは、ないでしょうか?
    私は、このごろ思うのです。
    大切な人のためなら、
    後悔する覚悟、
    後悔も受け入れる、
    それも大事じゃないかなと。

    ここからは、私の体験談です。
    長くなりますが、聴いていだけますか?


    今から13年前、私は母をがんで亡くしました。
    見つかったときはもうリンパ節に転移していて、
    手術でがんは取りましたが、
    複雑にからみあったリンパは取りきれませんでした。
    主治医の先生は、
    残された時間を自宅でなるべくすごさせてはと提案してくださいました。
    3月の下旬に退院しましたが、
    「お盆は越せないでしょう」と言われました。
    転移のことは父と妹の希望で母には告げませんでした。
    母は4月5月6月と穏やかにすごしていましたが、
    だんだんと横になることが多くなり、
    7月には再入院し、
    主治医の先生がおっしゃったとおり、
    お盆を越すことなく亡くなりました。

    私は、母が残された毎日を痛みの無い状態ですごせるようにと
    それだけを願っていましたが、妹は違う考えでした。
    どんなことがあっても、母には生きていてほしい、
    それが妹の願いでした。
    妹は、主治医の先生の言葉を信じたくない、
    私が母を助ける、
    そう思ったのでしょう、
    いろんな民間療法を母にすすめ、
    キノコとか何かのエキスとかを母に飲ませていました。

    そして、転移した足を1本切り落とす手術をしても母を助けたいと
    思うようになりました。
    そのころになると、
    妹は何かにとりつかれたようになり、
    周りの話を聞かなくなりました。
    私が、
    足を切り落とす手術に耐える体力はもう母には残っていないと思う
    と言うと、
    母を助けようと思わないの!
    と私をにらみつけるようになりました。

    母が手術を受けることは普通に考えれば無理なことでしたが、
    妹は母を失う恐怖に耐えられなかったのでしょう、
    やれることは全部やる、誰にも口出しは許さない、
    そんな状態になっていました。
    今思えば、
    妹の母への思いが私よりもずっと強かったのだろうと思います。

    母はやがて痛みで苦しむようになりました。
    モルヒネを使えば痛みを取ることは可能だったのですが、
    妹は、抗がん剤を使えなくなるからと反対しました。
    痛み止めは効かず、母は痛みのために眠れなくなり、
    だんだん心が壊れていくのがわかりました。
    私は、痛みを取ることが一番だと思い、
    モルヒネを使って痛みをとってくださいと主治医の先生に頼みました。
    モルヒネを使うようになってから、母はうとうとと眠るようになりました。

    母が亡くなった後、
    私は毎日毎日後悔しました。
    どんなに反対されても転移のことを伝えるべきだったのではないか、
    足を切り落とせば、母はもっと生きられたのではないか、
    十分なことをできなかったと自分を責めました。

    お世話になったお礼に主治医の先生にごあいさつにうかがった時、
    「足を切り落とせば母は助かったのでしょうか」とおたずねしました。
    先生は、
    「どんなことをしても取りきることはできなかったと思います。
     3ヶ月、ご自宅ですごせたことはよかったのではないでしょうか」
    と言ってくださいました。
    私は、そのとき、こらえていたものがあふれ出したように、
    その先生の前で泣いてしまいました。
    「では、あれでよかったのですね」と言いながら。

    母をうしなってしばらくたち、
    妹の気持ちや自分の気持ちを少しずつ振り返られるようになったとき、、
    私はこんなことを思うようになりました。

    どんなことをしても
    後悔はするのだ、
    そして、
    後悔をしたくないという思いが強くなりすぎると、
    後悔しないことが目的になってしまうことがあるのだと。

    大切な人がどんな気持ちでいるのか、
    どんなことを望んでいるのか、
    そういうことを思いやる心が
    後悔したくないという気持ちに消されてしまう、
    そんなことがおきるのだと。


    一番大事にしなければならなかった母の気持ちを
    私たちは思いやっていただろうか、
    そう思います。
    私は母の写真に話しかけます。
    「話を聞いてあげられなくてごめんね。
     勝手にまわりで決めちゃったんだよね、
     それがいいことだって勝手に思って」

    大切な人だからこそ、
    (それは苦しいことかもしれないけれど)
    後悔するかもしれないことを受け入れる、
    そういうことも大事なんだな、
    後悔したくないというのは、
    自分の思いを優先しているときでもあるかもしれないな、

    今はそんなふうに思うようになりました。

               

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    2018.08.01 Wednesday

    今日だけ、言わせて!

     

    2011年8月3日のブログ記事です。

    ちょうど7年前ですね。

    当時、ツイッターでは、黒あふらんになることがあったのですが、

    ブログでもこんなふうに言っていたりしたんですね。

    ほんとに若かったです。

     

    この記事は公開した後に

    非公開にしたようです。

    いくらなんでも過激だと

    公開した後にたぶん思ったのでしょう。

    でも、当時の私の心情を表していると思うので、

    公開してみました。

     

     

    *****

     

     

    今日だけ、言わせて!

    (2011年8月3日のブログ記事から転載)

     

     

    ここでなら、叫んでもいいかな?
    もう、ストレスたまって体調不良になりそうだから。
    言いたいことは山ほどあるけど、
    そこはそれ、抑えに抑えて冷静に語ってきたつもりです。
    たま〜には、興奮したこともあるけど。

    でも、もう、今日は限界。
    今日だけ、言わせて!

    ここからはいつものpommeでなくなるかもしれないけど、許してね。
    ゆうぞー!

    あのさ、
    福島の子どもは将来結婚できないとか、
    子どもを産めないとか、
    そういうの、ほんとに止めてもらえませんか、マジで!

    確かに福島市は放射線量の比較的高い所はありますけど、
    いったい、どういうソースをもとに
    そういうことを軽々しく口にするんだよ!
    被ばくは遺伝しないと言われているのっ。
    広島や長崎で被爆した方は子どもを産めなかったんですか?
    結婚できなかったんですか?
    私の友人二人は広島でお母さんが被爆していますけど、
    二人ともバンバン元気に今も暮らしてますよ。

    以前は県外の人が、そういうことを言ってね、
    あのさー!って思ったけど、
    近頃は、なんと、福島市民とかまでそういうことを言うのですよ。
    いっちばん頭にきたのは、
    あるお母さんが、テレビカメラに向かって、
    「娘は結婚できるのでしょうか、

     かわいい赤ちゃんを産めるのでしょうか」
    なんておしゃるの。
    そういう不安があることはもっともだと思います。
    友達同士とかうちわでそういうことをお話ししても問題ないと思いますが、
    どうして、テレビカメラに向かってそういうことを言って涙を浮かべるのか、
    私にはさっぱり理解できません、正直言って。

    子どもを避難させたい気持ちはわかります。
    私も、小さな子どもたちにとって安全だとは言い切れ無い所だと思います。

    (※注 当時は、そう思っていました)
    でも、その避難を認めさせる手段として、
    どうして、将来にわたって福島を差別することにつながるようなことを
    自ら言うのか、私には理解できないのです。

    ご自分のお子さんに面と向かって言えますか?
    「あなたは、結婚できないかもしれないのよ。
     かわいい赤ちゃんを産めるかしら?」って。
    私だったら、とてもそんなこと言えませんけど。

    でも、テレビカメラに向かって言うということは、
    そのテレビを見ているかもしれないたくさんの子どもたちに
    「あなたは結婚できないかもしれない。
     わかいい赤ちゃんを産めないかもしれない」
    と言っていることになるんだということをわかってほしいんです。
    そんなことを耳にした子どもたちはどんな気持ちになりますか?
    想像力を働かせたらわかると思うんですよ。

    放射線の被害を言うなら、もっと別な言い方があるでしょう。
    放射線の被害についてはわからないことが多く、
    精神的にとても不安で体調を崩してしまいます、
    だから、避難の援助をしてほしいです・・・とか。

    とにかく、
    子どもを産めないとか、結婚できないとか、
    そういうことを言って、悲惨さをアピールするようなことは止めてください。
    それは、大事なお子さんの将来を傷つけることになるんです。
    我が子だけでなく、たくさんの子どもたちの将来を傷つけることになるんです。
    私はそう思います。

    自分の主張はもっと別なやり方で主張してほしい。

    *****

    明日からは、いつものやさし〜いpommeに戻るから、
    今日だけは許してね。
    まったく、もー!


           

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      2018.07.30 Monday

      進歩的知識人と言われている(た)方たちへの絶望

       

      過去の記事を読み返しています。

       

      2011年8月19日、

      東日本大震災と原発事故から5ヶ月がたったときに書いたブログ記事です。

      かなり過激な言い方をしていますね。

      (若かったな〜)

      今だったら、こんな言い方はしないなと思いました。

      でも、これが 今から7年前、58歳の私の姿です。

      だから、手を加えずにそのまま転載します。

       

      そして・・・、

      今も7年前と同じようなことを言い続けているのだなとも思いました。

       

      読み返して、少し虚しくなったりしましたが、

      多くの方が言い続けてきたことで、今があるのだと

      そう思います。

       

      どうせ・・・と、

      諦めてしまっていたら、今はなかっただろうと思います。

       

       

      ******

       

       

      進歩的知識人と言われている(た)方たちへの絶望

      (2011年8月19日のブログ記事から転載)

       

       

      進歩的知識人と言われている(た)方たち、
      私が勝手にそう思っていただけなのかもしれないけど。

      この間の原発事故に対する発言を聞いて、
      そういう方たちの底の浅さを実感した。
      そして、かなり絶望した。
      私が若いころ、その著書を読んだこともあり、
      また、
      テレビなどでの発言に頷いたこともあった方たちだった。
      期待していたからこそ、絶望感は大きかった。

      何に絶望したのか、
      それは、
      彼らの発言には甘えがあると感じたから。
      神が細部に宿っていないから。
                 
       ※神は細部に宿る
         『素晴らしい芸術作品や良い仕事は細かいところをきちんと仕上げており、
          こだわったディテールこそが作品の本質を決定する。
           何ごとも細部まで心を込めて行わなければならない』

      原発事故に関するコメントを求められると、
      地元で暮らしていたらすぐにわかるような間違いを言う。
      「ええっ、そんなことないよ」と思うことが何度もあった。

      これは、その一例

      masaru_kaneko氏が
        なのに中通り(福島県)では週1回の少数地点の測定で「安心」を繰り返す。
       
      と、ツイートされていたので、

        お知らせいたします。県や二本松市は毎日測定してHPで公表しています。

      とお知らせした。
      でも、私が見た限りでは訂正ツイートはないし、もちろん、私への返事も無い。

      きっと、たくさんのメンションが毎日届くだろうから、
      私のメンションなど目にとまらなかったのかもしれない。

      masaru_kaneko氏にとっては、こういうことはとるに足らないことなのかもしれない。
      「私は、もっと大きな視点で語っているのだから、
       そんな些細なことにいちいちかまってはいられない」
      と言うのかも知れない。
      しかし、
      県外の人はmasaru_kaneko氏のツイートを信じるだろう。
      そして、こういうツイートがRTされていく。

      masaru_kaneko氏は連日、国や福島県の対応を糾弾する。
      そんなに福島県民のことを思ってくれるなら、正しい情報を発信してほしい。
      影響力のある方が、こういう間違った情報を発信することで、
      私たちは今までどんなに苦しんできたことか。
      福島県に対するゆがんだイメージを作り上げる原因の一つになったと思う。

      孫正義氏がソースの信憑性を確認せずにRTしたことで、
      いわき市の給食については、間違った情報が拡散した。
      彼をフォローする人数を考えたら、その影響力ははかりしれない。

      みな、福島県民を助けたいと口にする。
      でも、片方の手で福島県民を助けると言いながら、
      もう一方の手で福島県民の首をしめている。


      そして、地元の人間が間違いを指摘しても、それに耳を傾けない。

      このお二人だけでなく、
      進歩的な知識人と言われている(た)方たち(すべてではないけれど)は、
      国や県の対応の遅さや手際の悪さ、情報開示の遅さ、情報の信憑性を
      口にし、怒ってみせたり、悲しんでみせたりする。
      しかし、そんなこと、私たちはとっくに感じている。
      そんな市井の一般人でも言えるようなことを言う。
      私たちが望むものはそんなことではない。

        もう、福島県は汚染されてしまった。

      と、悲しげに語るかたもいる。

      なんだそれは!
      福島県の広さを知っているのか!
      南会津は、日光市やつくば市よりもずっと線量は低いぞ。
      川崎市とほとんどかわらない。
      そんなこと、ちょっと調べればわかることじゃないか。
      毎日、新聞にも放射線量は出ている。
      県で区別することの意味の無さはもう誰もが実感している。
      それなのに、福島県は・・・と、
      実際には存在しない地図上の線引きを口にする。
        
      私が望むものは、こんな悲しむポーズや
      誰でも言えるような糾弾のことばではない。
      これからどうすればいいのかという未来への展望と
      実施可能な対策の提案だ。

      そして、
      何よりも・・・、
      正しい情報の発信と自分が発する情報に対する真摯な態度だ。

      この原発事故を自分の予言の正しさを実証する例としたり、
      自分の主張をアピールするために利用したりしないでほしい。


      私は、神が細部に宿らない方の発言は、
      たとえ、どんなに大筋で私の考えと同じであっても
      信じないことにしている。

          

      0
        2018.07.23 Monday

        成長途中なんだよね・・・

         

        ツイッターは140文字で、

        きちんと言えないと思うので、こちらに書きます。

         

        私は65歳になったけれど、

        まだまだ未熟だと思っています。

        死ぬまで未熟なのだろうと思います。

         

        未熟の程度はいろんな経験を重ねることで変わっていくと思うけれど、

        基本的にだれもが未熟な部分を持っていて、

        それを抱えながら、

        ときには自己嫌悪に陥ったり、

        自分を消してしまいたいと思ったり、

        ときには有頂天になったり、

        そういうことを繰り返して人生を歩んでいくんだろうなと

        思っています。

         

        まだ10代20代のアスリートならば、

        当然、未熟な部分を持っていると思います。

        どんなに偉業を成し遂げたとしても、

        神様ではないのですから、

        ひとりの人間として不完全な部分があるのは当たり前だと

        私は思っています。

         

        そういう不完全な部分だけをクローズアップして、

        そのひと全体を否定するのもおかしいし、

        逆にすばらしい部分だけをクローズアップして、

        完璧な人間のように言うのも違うだろうなと

        私は思っています。

         

        すばらしい部分もあるし、

        不完全な部分もある、

        とびぬけて成長した分野もあるけれど、

        まだ成長できていない分野もある、

        そういうところを持った

        生身の人間として見ていきたいなと、

        私は、この2〜3年、強く思うようになりました。

         

        だから、

        なにやら、騒がしくても、私は見ないようにしていますし、

        話題にしないようにしています。

         

        なお、念のため、申し添えますが、

        私はこの考え方を押し付けるつもりはありません。

        私はそうしたいなと思っているだけです。

        いろんな考え方があっていいのだと思います。

         

        貶めず、

        賛美しすぎず、

        生きているひとりの人間なんだから・・・、

        そういう目で見ていきたいなと、

        私は思っています。

         

        基本的に、

        私にとっては自慢の孫なので、

        まあ、いろいろあっても、

        あなたが生きていてくれたらおばあちゃんはうれしいのですよ、

        そういう気持ちで見ています。

         

           

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          2018.07.21 Saturday

          仙台七夕の夜に

           

          プルシェンコを見ていたら、

          結弦さんも、いつかお父さんになるかもしれないんだな

          と思いました、

          どんなお父さんになるだろう・・・。

          きっと我が子をとても大事にするお父さんになるだろうな。

           

          そんなことを考えながら作りました。

           

          仙台七夕の夜、

          我が子を連れて星を見に来た結弦さん。

           

           

           

          ※ 大きな画像はこちらをごらんください。

            

                     

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            2018.07.10 Tuesday

            七夕の夜に

             

             

            ※画像はサムネイルになっています。画像をクリックしてごらんください。

             

                  

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              2018.07.07 Saturday

              二人の背中には羽がある

               

              サッカーはほとんど素人なんですけど、

              試合を見るのはすきで見ていました。

               

              ワールドカップロシア大会も見ていました。

              寝不足になりましたが、

              見ないではいられないという気持ちにさせてくれました。

               

              香川さんは、震災後、応援してくれていて、

              こちらのテレビでも紹介されていました。

               

              それで、香川さんのブログに行ってみると、

              なんとそこに、背中に羽のある香川さんがいました。

               

              うわぁっ、羽がある〜!

              と思いました。

               

              私が好きなアスリートの背中には羽があるんだ

              と思いました。

                 

               

               

              ※ すみません、香川さんの画像は、ブログからお借りしました。

               

                 

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