2018.08.03 Friday

後悔を受け入れることも

 

2011年8月16日のブログ記事です。

 

7年前の今ごろ、

子どもを守りたい、後悔したくない

そういう言葉をよく耳にしました。

 

我が子のことを思って、

多くの親御さんが試行錯誤をし

悩まれていたのでした。

 

まだまだ情報が錯綜していた時期でもありました。

喧騒の中にあったように思います。

そういう状況を見て、

私が思ったことを書きました。

 

 

*****

 

 

後悔を受け入れることも

(2011年8月16日のブログ記事から転載)

    

 

後悔したくないから・・・
このごろ、この言葉をよく目にします。
大切な人のため
子どものため
後悔したくないから・・・

どうして後悔したくないの?

それは大切な人を守りたいから
わが子を守りたいから
に、決まっているじゃないですか、
大切な人のため
わが子のために
後悔したくないのです、

という答えが返ってくるでしょう。

きっと、そうなんだと思います。
大切な人を守りたい、
だから、
後で後悔しないように
やれることは全部したい
そう思うのは当たり前だと思います。

でも、
もしかしたら、
後悔するのが怖いから・・・
ということは、ないでしょうか?
私は、このごろ思うのです。
大切な人のためなら、
後悔する覚悟、
後悔も受け入れる、
それも大事じゃないかなと。

ここからは、私の体験談です。
長くなりますが、聴いていだけますか?


今から13年前、私は母をがんで亡くしました。
見つかったときはもうリンパ節に転移していて、
手術でがんは取りましたが、
複雑にからみあったリンパは取りきれませんでした。
主治医の先生は、
残された時間を自宅でなるべくすごさせてはと提案してくださいました。
3月の下旬に退院しましたが、
「お盆は越せないでしょう」と言われました。
転移のことは父と妹の希望で母には告げませんでした。
母は4月5月6月と穏やかにすごしていましたが、
だんだんと横になることが多くなり、
7月には再入院し、
主治医の先生がおっしゃったとおり、
お盆を越すことなく亡くなりました。

私は、母が残された毎日を痛みの無い状態ですごせるようにと
それだけを願っていましたが、妹は違う考えでした。
どんなことがあっても、母には生きていてほしい、
それが妹の願いでした。
妹は、主治医の先生の言葉を信じたくない、
私が母を助ける、
そう思ったのでしょう、
いろんな民間療法を母にすすめ、
キノコとか何かのエキスとかを母に飲ませていました。

そして、転移した足を1本切り落とす手術をしても母を助けたいと
思うようになりました。
そのころになると、
妹は何かにとりつかれたようになり、
周りの話を聞かなくなりました。
私が、
足を切り落とす手術に耐える体力はもう母には残っていないと思う
と言うと、
母を助けようと思わないの!
と私をにらみつけるようになりました。

母が手術を受けることは普通に考えれば無理なことでしたが、
妹は母を失う恐怖に耐えられなかったのでしょう、
やれることは全部やる、誰にも口出しは許さない、
そんな状態になっていました。
今思えば、
妹の母への思いが私よりもずっと強かったのだろうと思います。

母はやがて痛みで苦しむようになりました。
モルヒネを使えば痛みを取ることは可能だったのですが、
妹は、抗がん剤を使えなくなるからと反対しました。
痛み止めは効かず、母は痛みのために眠れなくなり、
だんだん心が壊れていくのがわかりました。
私は、痛みを取ることが一番だと思い、
モルヒネを使って痛みをとってくださいと主治医の先生に頼みました。
モルヒネを使うようになってから、母はうとうとと眠るようになりました。

母が亡くなった後、
私は毎日毎日後悔しました。
どんなに反対されても転移のことを伝えるべきだったのではないか、
足を切り落とせば、母はもっと生きられたのではないか、
十分なことをできなかったと自分を責めました。

お世話になったお礼に主治医の先生にごあいさつにうかがった時、
「足を切り落とせば母は助かったのでしょうか」とおたずねしました。
先生は、
「どんなことをしても取りきることはできなかったと思います。
 3ヶ月、ご自宅ですごせたことはよかったのではないでしょうか」
と言ってくださいました。
私は、そのとき、こらえていたものがあふれ出したように、
その先生の前で泣いてしまいました。
「では、あれでよかったのですね」と言いながら。

母をうしなってしばらくたち、
妹の気持ちや自分の気持ちを少しずつ振り返られるようになったとき、、
私はこんなことを思うようになりました。

どんなことをしても
後悔はするのだ、
そして、
後悔をしたくないという思いが強くなりすぎると、
後悔しないことが目的になってしまうことがあるのだと。

大切な人がどんな気持ちでいるのか、
どんなことを望んでいるのか、
そういうことを思いやる心が
後悔したくないという気持ちに消されてしまう、
そんなことがおきるのだと。


一番大事にしなければならなかった母の気持ちを
私たちは思いやっていただろうか、
そう思います。
私は母の写真に話しかけます。
「話を聞いてあげられなくてごめんね。
 勝手にまわりで決めちゃったんだよね、
 それがいいことだって勝手に思って」

大切な人だからこそ、
(それは苦しいことかもしれないけれど)
後悔するかもしれないことを受け入れる、
そういうことも大事なんだな、
後悔したくないというのは、
自分の思いを優先しているときでもあるかもしれないな、

今はそんなふうに思うようになりました。

           

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    2018.08.01 Wednesday

    今日だけ、言わせて!

     

    2011年8月3日のブログ記事です。

    ちょうど7年前ですね。

    当時、ツイッターでは、黒あふらんになることがあったのですが、

    ブログでもこんなふうに言っていたりしたんですね。

    ほんとに若かったです。

     

    この記事は公開した後に

    非公開にしたようです。

    いくらなんでも過激だと

    公開した後にたぶん思ったのでしょう。

    でも、当時の私の心情を表していると思うので、

    公開してみました。

     

     

    *****

     

     

    今日だけ、言わせて!

    (2011年8月3日のブログ記事から転載)

     

     

    ここでなら、叫んでもいいかな?
    もう、ストレスたまって体調不良になりそうだから。
    言いたいことは山ほどあるけど、
    そこはそれ、抑えに抑えて冷静に語ってきたつもりです。
    たま〜には、興奮したこともあるけど。

    でも、もう、今日は限界。
    今日だけ、言わせて!

    ここからはいつものpommeでなくなるかもしれないけど、許してね。
    ゆうぞー!

    あのさ、
    福島の子どもは将来結婚できないとか、
    子どもを産めないとか、
    そういうの、ほんとに止めてもらえませんか、マジで!

    確かに福島市は放射線量の比較的高い所はありますけど、
    いったい、どういうソースをもとに
    そういうことを軽々しく口にするんだよ!
    被ばくは遺伝しないと言われているのっ。
    広島や長崎で被爆した方は子どもを産めなかったんですか?
    結婚できなかったんですか?
    私の友人二人は広島でお母さんが被爆していますけど、
    二人ともバンバン元気に今も暮らしてますよ。

    以前は県外の人が、そういうことを言ってね、
    あのさー!って思ったけど、
    近頃は、なんと、福島市民とかまでそういうことを言うのですよ。
    いっちばん頭にきたのは、
    あるお母さんが、テレビカメラに向かって、
    「娘は結婚できるのでしょうか、

     かわいい赤ちゃんを産めるのでしょうか」
    なんておしゃるの。
    そういう不安があることはもっともだと思います。
    友達同士とかうちわでそういうことをお話ししても問題ないと思いますが、
    どうして、テレビカメラに向かってそういうことを言って涙を浮かべるのか、
    私にはさっぱり理解できません、正直言って。

    子どもを避難させたい気持ちはわかります。
    私も、小さな子どもたちにとって安全だとは言い切れ無い所だと思います。

    (※注 当時は、そう思っていました)
    でも、その避難を認めさせる手段として、
    どうして、将来にわたって福島を差別することにつながるようなことを
    自ら言うのか、私には理解できないのです。

    ご自分のお子さんに面と向かって言えますか?
    「あなたは、結婚できないかもしれないのよ。
     かわいい赤ちゃんを産めるかしら?」って。
    私だったら、とてもそんなこと言えませんけど。

    でも、テレビカメラに向かって言うということは、
    そのテレビを見ているかもしれないたくさんの子どもたちに
    「あなたは結婚できないかもしれない。
     わかいい赤ちゃんを産めないかもしれない」
    と言っていることになるんだということをわかってほしいんです。
    そんなことを耳にした子どもたちはどんな気持ちになりますか?
    想像力を働かせたらわかると思うんですよ。

    放射線の被害を言うなら、もっと別な言い方があるでしょう。
    放射線の被害についてはわからないことが多く、
    精神的にとても不安で体調を崩してしまいます、
    だから、避難の援助をしてほしいです・・・とか。

    とにかく、
    子どもを産めないとか、結婚できないとか、
    そういうことを言って、悲惨さをアピールするようなことは止めてください。
    それは、大事なお子さんの将来を傷つけることになるんです。
    我が子だけでなく、たくさんの子どもたちの将来を傷つけることになるんです。
    私はそう思います。

    自分の主張はもっと別なやり方で主張してほしい。

    *****

    明日からは、いつものやさし〜いpommeに戻るから、
    今日だけは許してね。
    まったく、もー!


           

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      2018.07.30 Monday

      進歩的知識人と言われている(た)方たちへの絶望

       

      過去の記事を読み返しています。

       

      2011年8月19日、

      東日本大震災と原発事故から5ヶ月がたったときに書いたブログ記事です。

      かなり過激な言い方をしていますね。

      (若かったな〜)

      今だったら、こんな言い方はしないなと思いました。

      でも、これが 今から7年前、58歳の私の姿です。

      だから、手を加えずにそのまま転載します。

       

      そして・・・、

      今も7年前と同じようなことを言い続けているのだなとも思いました。

       

      読み返して、少し虚しくなったりしましたが、

      多くの方が言い続けてきたことで、今があるのだと

      そう思います。

       

      どうせ・・・と、

      諦めてしまっていたら、今はなかっただろうと思います。

       

       

      ******

       

       

      進歩的知識人と言われている(た)方たちへの絶望

      (2011年8月19日のブログ記事から転載)

       

       

      進歩的知識人と言われている(た)方たち、
      私が勝手にそう思っていただけなのかもしれないけど。

      この間の原発事故に対する発言を聞いて、
      そういう方たちの底の浅さを実感した。
      そして、かなり絶望した。
      私が若いころ、その著書を読んだこともあり、
      また、
      テレビなどでの発言に頷いたこともあった方たちだった。
      期待していたからこそ、絶望感は大きかった。

      何に絶望したのか、
      それは、
      彼らの発言には甘えがあると感じたから。
      神が細部に宿っていないから。
                 
       ※神は細部に宿る
         『素晴らしい芸術作品や良い仕事は細かいところをきちんと仕上げており、
          こだわったディテールこそが作品の本質を決定する。
           何ごとも細部まで心を込めて行わなければならない』

      原発事故に関するコメントを求められると、
      地元で暮らしていたらすぐにわかるような間違いを言う。
      「ええっ、そんなことないよ」と思うことが何度もあった。

      これは、その一例

      masaru_kaneko氏が
        なのに中通り(福島県)では週1回の少数地点の測定で「安心」を繰り返す。
       
      と、ツイートされていたので、

        お知らせいたします。県や二本松市は毎日測定してHPで公表しています。

      とお知らせした。
      でも、私が見た限りでは訂正ツイートはないし、もちろん、私への返事も無い。

      きっと、たくさんのメンションが毎日届くだろうから、
      私のメンションなど目にとまらなかったのかもしれない。

      masaru_kaneko氏にとっては、こういうことはとるに足らないことなのかもしれない。
      「私は、もっと大きな視点で語っているのだから、
       そんな些細なことにいちいちかまってはいられない」
      と言うのかも知れない。
      しかし、
      県外の人はmasaru_kaneko氏のツイートを信じるだろう。
      そして、こういうツイートがRTされていく。

      masaru_kaneko氏は連日、国や福島県の対応を糾弾する。
      そんなに福島県民のことを思ってくれるなら、正しい情報を発信してほしい。
      影響力のある方が、こういう間違った情報を発信することで、
      私たちは今までどんなに苦しんできたことか。
      福島県に対するゆがんだイメージを作り上げる原因の一つになったと思う。

      孫正義氏がソースの信憑性を確認せずにRTしたことで、
      いわき市の給食については、間違った情報が拡散した。
      彼をフォローする人数を考えたら、その影響力ははかりしれない。

      みな、福島県民を助けたいと口にする。
      でも、片方の手で福島県民を助けると言いながら、
      もう一方の手で福島県民の首をしめている。


      そして、地元の人間が間違いを指摘しても、それに耳を傾けない。

      このお二人だけでなく、
      進歩的な知識人と言われている(た)方たち(すべてではないけれど)は、
      国や県の対応の遅さや手際の悪さ、情報開示の遅さ、情報の信憑性を
      口にし、怒ってみせたり、悲しんでみせたりする。
      しかし、そんなこと、私たちはとっくに感じている。
      そんな市井の一般人でも言えるようなことを言う。
      私たちが望むものはそんなことではない。

        もう、福島県は汚染されてしまった。

      と、悲しげに語るかたもいる。

      なんだそれは!
      福島県の広さを知っているのか!
      南会津は、日光市やつくば市よりもずっと線量は低いぞ。
      川崎市とほとんどかわらない。
      そんなこと、ちょっと調べればわかることじゃないか。
      毎日、新聞にも放射線量は出ている。
      県で区別することの意味の無さはもう誰もが実感している。
      それなのに、福島県は・・・と、
      実際には存在しない地図上の線引きを口にする。
        
      私が望むものは、こんな悲しむポーズや
      誰でも言えるような糾弾のことばではない。
      これからどうすればいいのかという未来への展望と
      実施可能な対策の提案だ。

      そして、
      何よりも・・・、
      正しい情報の発信と自分が発する情報に対する真摯な態度だ。

      この原発事故を自分の予言の正しさを実証する例としたり、
      自分の主張をアピールするために利用したりしないでほしい。


      私は、神が細部に宿らない方の発言は、
      たとえ、どんなに大筋で私の考えと同じであっても
      信じないことにしている。

          

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        2018.07.23 Monday

        成長途中なんだよね・・・

         

        ツイッターは140文字で、

        きちんと言えないと思うので、こちらに書きます。

         

        私は65歳になったけれど、

        まだまだ未熟だと思っています。

        死ぬまで未熟なのだろうと思います。

         

        未熟の程度はいろんな経験を重ねることで変わっていくと思うけれど、

        基本的にだれもが未熟な部分を持っていて、

        それを抱えながら、

        ときには自己嫌悪に陥ったり、

        自分を消してしまいたいと思ったり、

        ときには有頂天になったり、

        そういうことを繰り返して人生を歩んでいくんだろうなと

        思っています。

         

        まだ10代20代のアスリートならば、

        当然、未熟な部分を持っていると思います。

        どんなに偉業を成し遂げたとしても、

        神様ではないのですから、

        ひとりの人間として不完全な部分があるのは当たり前だと

        私は思っています。

         

        そういう不完全な部分だけをクローズアップして、

        そのひと全体を否定するのもおかしいし、

        逆にすばらしい部分だけをクローズアップして、

        完璧な人間のように言うのも違うだろうなと

        私は思っています。

         

        すばらしい部分もあるし、

        不完全な部分もある、

        とびぬけて成長した分野もあるけれど、

        まだ成長できていない分野もある、

        そういうところを持った

        生身の人間として見ていきたいなと、

        私は、この2〜3年、強く思うようになりました。

         

        だから、

        なにやら、騒がしくても、私は見ないようにしていますし、

        話題にしないようにしています。

         

        なお、念のため、申し添えますが、

        私はこの考え方を押し付けるつもりはありません。

        私はそうしたいなと思っているだけです。

        いろんな考え方があっていいのだと思います。

         

        貶めず、

        賛美しすぎず、

        生きているひとりの人間なんだから・・・、

        そういう目で見ていきたいなと、

        私は思っています。

         

        基本的に、

        私にとっては自慢の孫なので、

        まあ、いろいろあっても、

        あなたが生きていてくれたらおばあちゃんはうれしいのですよ、

        そういう気持ちで見ています。

         

           

        0
          2018.07.21 Saturday

          仙台七夕の夜に

           

          プルシェンコを見ていたら、

          結弦さんも、いつかお父さんになるかもしれないんだな

          と思いました、

          どんなお父さんになるだろう・・・。

          きっと我が子をとても大事にするお父さんになるだろうな。

           

          そんなことを考えながら作りました。

           

          仙台七夕の夜、

          我が子を連れて星を見に来た結弦さん。

           

           

           

          ※ 大きな画像はこちらをごらんください。

            

                     

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            2018.07.10 Tuesday

            七夕の夜に

             

             

            ※画像はサムネイルになっています。画像をクリックしてごらんください。

             

                  

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              2018.07.07 Saturday

              二人の背中には羽がある

               

              サッカーはほとんど素人なんですけど、

              試合を見るのはすきで見ていました。

               

              ワールドカップロシア大会も見ていました。

              寝不足になりましたが、

              見ないではいられないという気持ちにさせてくれました。

               

              香川さんは、震災後、応援してくれていて、

              こちらのテレビでも紹介されていました。

               

              それで、香川さんのブログに行ってみると、

              なんとそこに、背中に羽のある香川さんがいました。

               

              うわぁっ、羽がある〜!

              と思いました。

               

              私が好きなアスリートの背中には羽があるんだ

              と思いました。

                 

               

               

              ※ すみません、香川さんの画像は、ブログからお借りしました。

               

                 

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                2018.07.04 Wednesday

                自分が織りたいと思う人生の反物を

                 

                久しぶりの更新です。

                 

                若いころ「夕鶴」という舞台を見ました。

                鶴の恩返しをもとにしたものです。

                 

                助けてもらった恩返しに、

                鶴がわが身の羽を抜いて反物を織っていくお話です。

                 

                昨日、突然、

                「結弦さん、夕鶴のつうになってはだめよ」と思いました。

                 

                わが身を削って、美しい反物を織り上げるつう、

                周りは高値で売れる反物をもっと織らせようとします。

                 

                やがて、

                「織っているときはけっしてのぞかないでください」

                という約束をやぶって

                与ひょうたちはのぞいてしまいます。

                そこで見たのは、

                鶴がわが身の羽を抜いて織っている姿でした。

                 

                正体を見られたつうは、

                傷ついた姿で空に還っていきます。

                 

                多くのかたが言っているように、

                もう十分に「ゆづの恩返し」はしていただきました。

                 

                「自分の幸せ」という羽を一枚ずつ抜いて、

                美しい反物を織り上げ、

                あなたは、自分の願いであると同時に周りの期待でもある

                オリンピックチャンピオンになりました。

                多くの人たちが、

                美しい幸せの反物を十分すぎるほどいただきました。

                 

                これからは、自分が織りたいと思う人生の反物を織ってください。

                たくさんの人たちが幸せの羽をあなたに届けたいと思っているはずです。

                今度は、その羽で、あなた自身の幸せのための反物を織ってください。

                 

                 

                結弦さんの人生は結弦さんが決めることで、

                外野があれこれ言うことではありませんが、

                先日の一問一答の記事を読んで私が思ったことを

                書いてしまいました。

                 

                    

                0
                  2018.06.04 Monday

                  受賞するのは、多くの人の励ましや思い

                   

                  羽生選手コメント全文=国民栄誉賞受賞決定(時事通信)から

                   

                   

                   

                  受賞発表の日のツイッターから

                   

                  先人の歩みや多くの選手の活躍がありました。

                  そして、

                  自分に寄せられた励ましや思いを自分が代表して受賞するにすぎないのです

                  ということかな?
                  いいコメントですね。

                   

                  >・・・この身に詰まっていることを改めて実感し、
                  このフレーズを目にしたとき、目頭が熱くなりました。
                  2011年の秋からのことが思い出され、

                  彼の身の中に0.1ミリでも私の思いが詰まっているとしたら、望外の喜びです。

                   

                  それにしても先手必勝のようなコメントでした。

                  自分がいただく賞ではあっても、

                  真にいただくのは多くの人の励ましや思い、それが受賞するのです、

                  主役は僕ではないのです・・・。

                  日大の選手といい彼といい、若手の危機管理はすばらしい。

                   

                       

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                    2018.05.30 Wednesday

                    「こうやって生きててよかったと思える瞬間」

                     

                    昨日、ピョンチャンオリンピックの録画を見直しました。

                    表彰式後のインタビューで

                    「こうやって生きててよかったと思える瞬間のひとつです」と

                    結弦さんが言っています。

                     

                    このインタビューをリアルタイムで見ていたときは、

                    「生きててよかったと思える」という言葉に

                    ほんの少しだけ唐突な印象を受けたけれど、

                    金メダル、オリンピック二連覇の高揚感の中にあって、

                    そのまま聞き流してしまっていました。

                     

                    4月のショーでの結弦さんの発言を聞いた後に、

                    あらためて録画を見直して、

                    この言葉を聞くと、

                    「生きててよかったと思える」という言葉の重みを感じました。

                    この言葉を発する前に

                    一瞬目を閉じて「うん」と言います。

                    その「うん」に

                    心から「生きててよかった」と思ったのだと感じました。

                     

                    結弦さんがショーの最後で言った言葉を知らなければ、

                    結弦さんのこのときの言葉をあらためて考えることはなかったでしょう。

                     

                    そう言えば、私も「生きててよかった」と思った瞬間が何度かありました。

                     

                    ピョンチャンオリンピックで結弦さんの二連覇を見ることができた、

                    その瞬間にそう思いました。

                     

                    そして、一番それを感じたのは、

                    2012年ニースワールドでの結弦さんの「ロミジュリ」を見たときでした。

                    言葉にできないほど辛い時期があって、

                    心が半分死んでいるような状態だったあのとき、

                    結弦さんの「ロミジュリ」を見て、

                    死にかけていた心が蘇りましたし、

                    死んでしまわないでよかった、

                    生きていてよかったと思ったのでした。

                     

                    ひとは、死んでしまいたい、死のう、

                    そう思い、それを実行しそうになるときがありますが、

                    「生きててよかった」と思える瞬間を積み重ねることで、

                    その気持ちにブレーキをかけることができるのかもしれないと思いました。

                     

                    これを乗り越えれば

                    「生きててよかった」と思えるときが来るかもしれない、

                    あのときだって、そうだったんだから・・・、

                    そう思えるようでありたいとあらためて思いました。

                     

                     

                    若いころのジュリーの歌です。

                     

                    くじけそうになり、

                    生きる望みさえ 見失った私だった

                    あなたに出会い しみじみ思う

                    生きていてよかったと

                     

                    結弦さんに贈ります。

                     

                     

                     

                         

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