2015.10.19 Monday

あまい思いや夢でなく

しあわせの歌

作詞 石原 健治
作曲 木下 航二


しあわせはおいらの願い 仕事はとっても苦しいが
流れる汗に未来を込めて 明るい社会を作ること
 みんなと歌おう しあわせの歌を
 ひびくこだまを 追って行こう

しあわせはわたしの願い あまい思いや夢でなく
今の今をより美しく つらぬき通して生きること
 みんなと歌おう しあわせの歌を
 ひびくこだまを 追って行こう

しあわせはみんなの願い 朝やけの山河を守り
働くものの平和の心を 世界の人にしめすこと
 みんなと歌おう しあわせの歌を
 ひびくこだまを 追って行こう
  

*****


今から40年前、学生のころ、
友人に誘われてあるコンサートに行った。

コンサートの最後はこの曲だった。
客席の人たちもみんなが手をつなぎ歌った。

私はこの歌がすきになった。
今聞けば、今風ではないし、
オールド左翼がすきそうな歌・・・
みたいに言われるのだろうな。

でも、私はすきだ。
特に、

>しあわせはわたしの願い あまい思いや夢でなく
>今の今をより美しく つらぬき通して生きること


この歌詞がすき。
福島に住んでいて思う。
あまい思いや夢では生きていけない。
誇りも尊厳も傷つけられるようなことが何度もあり、
それは今も続く。
来年で5年が過ぎる。
もはや悪意をもって言っているのではと思うような、
「福島には住めない」というような言説が今も飛び交う。

疲れたなと思う。
心が荒む。
いつまで「違う」と言い続けなければならないんだろう。
報道って何だ!
人権って何だ!
そう叫びたくなる。

もう何もかも関係な〜いと放り出したくなる。
そうやって何日かすごしたときに思う、
このままでいいの?って。
私は62歳。
あと10年くらいしか生きられないかもしれない、
関係な〜いとすごして後悔しない?って。

荒んだ心に「しあわせの歌」のあのフレーズが浮かぶ。

何をきれいごとを言っているのと思われるかもしれないけど、
そのとき私はこのフレーズを思い出す。

>今の今をより美しく つらぬき通して生きること

こんなふうにはできないと思う、
でもすきなんだ、このフレーズが。
心の中にスーッと涼やかな風が吹いたような気持ちになる。

できなくても、無理でも、時代遅れと言われても、
今の今をより美しく つらぬき通して生きられたらいいなって、
そう思う。

     
2015.10.08 Thursday

そのひとは本当に同志なの?

ある方のツイを目にしました。
そして、そのことについてツイートしたかったのですが、
それによって起こることを予想したとき、
過去の恐怖が蘇り、ツイートすることはできませんでした。
でも、言っておきたいことではあるので、
ここに記録として残しておくことにします。
    

*****
       

ー分が政治的発言をすることで、「死ね」「レイプしろ」「出ていけ」という言葉を大量に浴びるとすれば、政治的発言をひかえる選択になりやすく、抵抗するよりも沈黙することを「選ぶ」ように追い込まれます。「沈黙させること」が、執拗に罵詈雑言の浴びせる人たちの目的です。← その通りです。
https://twitter.com/SANNGATUUSAGINO/status/651542147938693120

◆崟治的発言」を「福島の事実」と置き換えれば、そっくりそのまま私や御用学者とレッテルを貼られ攻撃された人たちが受けた行為と同じです。私はそれでも「福島のこと」を知ってほしくて返信を続けましたが、やがて気づきました。これは私を疲弊させるためにしていることなんだと。

(福島に住み続ける私と)最初から対話などするつもりはないのです。だから「勝手に死ね」という捨て台詞を吐くのです。いじめといっしょです。そのことに気づいた時、私はそういう@には返信をしないでブロックするようにしました。でなければ、私が壊れてしまうからです。自分を守るための自衛策でした。

い修靴董△海海らが私が一番言いたいことです。だから、私はシールズがブロックするのを否定はしません。ただし、シールズ公式が賛同の意味でRTしているそのアカウントそのものが「死ね」「殺す」と言ってきたアカウントであることに気づくアンテナがないなら、ダブルスタンダードです。

ズ、あなたの隣で「戦争法反対」と言っているそのひとが、ほんの少し前には、福島に住む人に対して「勝ってに死ね」「はっきり言って年寄りよりも子どものほうだ大事です」と言ってきた人かもしれないのです。でも、こういう問いかけはブロックされて届かないでしょう。

私は自分がされて苦しかったことはしないつもり。だから、シールズを誹謗中傷したことはないし、シールズだけに限らず、どんな立場に対しても理不尽な攻撃にはNOと言いたいし、言ってきたつもりです。そのために、陰でいろいろ言われたりもしました。

Щ笋楼楕殍^討鉾紳个任靴燭、だからこそ、シールズに対して「ここは直したほうがいいのではないか」と思う点があって、それを本アカで言いたかったです。でも、それにブレーキをかけさせたのは、彼等をとりまく人たちの存在でした。私がそれらしきことを言ったなら、どんな@の山が来るかを想像したら恐怖でした。それが、この4年半の教訓です。

Y川のようなひとに「殺す」と言われるかもしれない。それだけの恐怖心を植えつけてきたのです、あの人たちは。山本太郎や松田美由紀のツイに「それは違います」と言っただけで、どんなに多くの罵詈雑言・脅し・揶揄が私のところに来たかを過去にさかのぼって示したいくらいです。

私を含む人たちをだまらせ、恐怖心を与えてきたアカウントをシールズ公式がRTする。それを平常心で眺めていられるほど私は達観できません。そのことを知らせようと直接@したかたがいるけれど、たぶん届きはしないでしょう。過激派だけを排除すればいいのではないのです。

ネット上で、シールズあなたの隣で同志のようにふるまうそのひとが何をしてきたか、それを見抜く目を持ってほしいです。隣にいるそのひとは、今、あなたたちがされて苦しんでいることと同じことを過去にし、今もしているかもしれないのです。どうかそのことに気づいてほしい。


*****


↑の私のツイはシールズを誹謗中傷するものなのでしょうか?
「ネトウヨ」と言われるひとを喜ばせることになるのでしょうか?

そう言われるのだとしたら、悲しい。

もしも、こういうことすら書くなと言われるのなら、
私は何を言えばいいのでしょうか?


この程度のツイをツイッターに書くことを私に躊躇させる、
そういう恐怖心を植えつけてきたひとたちが存在する事実に
どうか気づいてほしいと思います。

     
2015.04.03 Friday

福島医療生協・わたり病院医師 齋藤紀さんに聞く

「しんぶん赤旗」2015年3月22日に掲載された
齋藤紀先生のインタビュー記事を転載いたしました。
全文転載するということには躊躇しましたが、
読んでいただくことのほうが大事と思い、全文転載させていただきました。

*****

科学の目でリスク見つめ、被災者全体の連帯めざす

〜 福島の医師として今伝えたいこと 〜 
福島医療生協・わたり病院医師 齋藤紀さんに聞く

福島で医師として住民の生活と健康に向き合っている福島医療生協・わたり病院医師、日本原水協代表理事の齋藤紀(おさむ)さん(67)に、東京電力福島第1原発事故から4年たった今、伝えたいことを聞きました。
(柴田善太)


■放射能の知識を広げる

 ─ この4年間どんな活動をしてきたのですか。

 まず、病院と地域を守る活動ですね。事故から1、2ヵ月は毎朝全職員が集合して、事故状況、避難所支援の状況確認、患者さんの不安などへの対処など議論を重ねました。

 福島県は被災3県で唯一、医師、看護師が激減し、事故前の2010年と12年の比で医師が約120人、看護師は600人以上減りました。わたり病院は、病院を維持し地域住民、避難者の診療を続けることができました。

 放射能の知識が渇望されていたので、福島県内を含め、全国で話をしてまわりました。中学校で話をする機会もあり、悩みましたね、子どもにどう話せば伝わるかと─。

 演壇に登るとき、ふっと思いついたんです。謝ろうと。「原発事故を防げなかったことを、おとなの一人として子どものみんなに謝罪する」と最初に話しました。スタンスがはっきりしたというのですかね。これで心が落ち着きました。

 ─ 原発事故による被害を細胞病理学と社会病理学との統一として説明されていますね。

 放射線も含め人間の細胞が傷つけられる場合、これを解明するのが細胞病理学です。同時に、今回は原発事故によって一定の地域が傷つけられた。傷とはいったいなにか、どうしたら回復することができるのか。自然科学と社会科学の両方の目と心を持って考えることが必要です。

■甲状腺がんの現状

 ─ 甲状腺がんの現状を現時点でどう見ますか。

 福島県の18歳以下の甲状腺検査が13年度で一巡しました。11年度は双葉郡中心、12年度は中通り中心、13年度はいわき、会津地方と、汚染度の高い地域から行いました。

 がん、またはがんの疑いの率は11年度0・033%、12年度が0・040%、13年度が0・033%とほぼ同率です。しこりの大きさもそれぞれ平均14・1ミリ、14・5ミリ 、13・3ミリとほぼ同程度です。

 放射線による甲状腺がんは若年齢ほど感受性が高いとされています。

 福島県の甲状腺調査で、がん、またはがんの疑いとされた人について、構成を年齢別でみると、0?5歳はなし、6?9歳が4・6%、10?18歳が95・4%です。チェルノブイリ事故のベラルーシの0?5歳が60・2%、6?14歳25・2%、15?19歳14・6%とは逆のパターンになっています。ベラルーシの場合は汚染された牛乳を飲み続けたこと、国土が海に面しておらずヨウ素欠乏地域であったことの影響があります。

 甲状腺被ばく量50ミリシーベルトが安定ヨウ素剤の投与判断レベルとされていますが、今回、直接計測の調査ではそれを超える事例は確認されていません。

 どの程度のリスクがあるのかをつかむことが住民を冷静な判断に導きます。

 被ばく量の実態、エコーによる発見率であること、かつ地域差がないこと。これらの状況から見れば、現時点で放射線によるがん発症増加が明確になったということは困難です。

 しかし、放射性ヨウ素のリスクは長期にわたるため、息の長い調査が必要です。同時にそれは親と子の人生にとって深刻な心理的負担となります。住民の意向を踏まえることも考慮しなくてはいけません。

 現在、甲状腺検査は2巡目に入っています。ここで、がん、またはがんの疑いの事例のパーセンテージを慎重に見定めてゆくことが大切です。

■崩れた社会の再建へ

 ─ 社会病理学という点では、どうでしょうか。

 崩れた社会の再建という点ではなかなか解決できていません。これほどの苦難を強いたにもかかわらず原発再稼働を目指す、分断を持ち込むなど国と東電の姿勢が元凶としてあります。

 同時に、避難した人と残った人の複雑な感情、放射線の影響をめぐる問題で不安や風評が絡みあっています。

 重要なことは避難の別にかかわらず生活や心の困難を抱えていることです。私は対立するのでなく、ともに手を握り生きていこうと機会あるごとに話しています。ともに原発事故の被害者なのですから。

 科学の目と具体的な努力でリスクを克服する、孤立せず手をつないで生活と生業(なりわい)を再建する、地域の復興の視点を捨てない。

 私は被災者全体がやがて連帯できることを確信しています。

(「しんぶん赤旗」2015年3月22日より転載)

          
2015.03.10 Tuesday

花をおくろう




花をおくろう

吹雪の夜を歩いてきた
ぬかるみを飛び越えてきた
日照りにたたかれてきた
嵐の夜を走ってきた
手を取りあって 歩いてきた
ふしくれだった荒れた手に
ふるさとを作る仲間の手から
花をおくろう オレンジの
      

4年間、共に歩いてくださったみなさんに感謝を込めて・・・
学生時代、友人が教えてくれたこの歌をおくります。

              
2014.11.03 Monday

聴こうとすること/その2

(部分的ではあるけれど)知識を獲得した私は、
それを伝えたくなった。
それは知識を自慢したいからではなく、
知ることによって、判断は変わるし、
不安を和らげることができる、
私自身がそうだった。
そのことを私の周りにいる友人たちに伝えたかったからだった。


〜 マシンガントーク 〜


私の友人の多くは、当時(2011年の春)、教育の現場にいた。
栄養士、養護教諭、教師、
怒涛のような毎日の中で悪戦苦闘していた。
彼女たちに、自力で放射線について調べろというのは、
当時の現場を思えば無理だったと思う。

私にできることは何か、
少しでも彼女たちの役に立ちたい、
私はそう思った。
そうだ、私が知りえたことを彼女たちに伝えよう、
それが私にできることだ、
私はそう思った。

(今、思えば、それが落とし穴だった)

彼女たちが仕事を終え、家に帰るのは午後7時近くになる場合もある。
それから家族の夕食の準備をし、
ほっとできるのは9時過ぎくらいだろうか。
私はそのころをみはからって電話をした。
7〜8人に電話をしたと思う。

はじめは、「大変だね。だいじょうぶ?」
というようなねぎらいの言葉をかけたり、
相手を話を聴こうと思っていたのに、
放射線の話になると、自分自身がエキサイトしていくのがわかった。

2011年の春、彼女たちは、
セシウムに半減期があることも、
ガイガーカウンターの測り方も知らなかった。
そんなことも知らなかったのか!と、
思うかもしれないけれど、
ネットもやらず、大混乱の中でその日その日のことに
悪戦苦闘している彼女たちにとっては、それが現実だった。

話しているうちに、私の心の中に
「何をやっているの!そんなんじゃ保護者のほうが先を行ってるよ」
というような気持ちが沸いてきて、
とにかく知っていることを伝えなくちゃと思った。
マシンガンのように、次から次へと話し続けたように思う。
マシンガントーク!

「セシウムには半減期というのがあって、
 ずっとこのままの放射線量じゃないのよ」
「ガイガーカウンターは、地上から1メートル離さないと、
 ベータ線を拾ってしまうから・・・」等々。
私は、丁寧に話したつもりだったけれど、
やっと帰宅して「疲れたぁ〜」と思っているところに、
電話がかかってきて、
予備知識もないようなことを矢継ぎ早にどんどん話されても、
頭に入るはずがない。

話している私もそれは感じていて、なんだか伝わっていないなと思う。
そうすると、ますますあれもこれも話そうとしてしまう。
今振り返れば、たぶんうっとうしいなと思われていたかもしれない。
私が彼女たちだったら、そう思っただろう。

現場の大変さも知らない人間が、
ネットで知った情報を次から次へと話し続ける。
反発する気持ちを持っても仕方ないと思う。

ついに、
「私はネットもやっていないし、そこまではできないから・・・」
と言われてしまったこともあった。

でも、当時の私は、相手の状況や自分のアプローチの仕方に
思いをめぐらすことはせず、
「どうして、知ろうとしないわけ?
 そんなんで保護者の不安に応えられるの?」
と、電話を切った後にブースカ言っていたように思う。
 
数ある失敗の中でも、味噌汁のことについては、一番苦い思い出だ。


続く

   
2014.11.03 Monday

聴こうとすること/その1

震災と原発事故から3年8ヶ月になろうとしている。
これまでのことを振り返り、今思うことを書いておこうと思う。

私には足りなかったものがある。
それは聴こうとすること。
その人が何を知りたいのか、
何を知ろうとしているか、
その声を聴こうとしなかったこと。

それに気づいたのは1年くらい前だったように思う。
そのことについて、長くなりますが書いておこうと思います。
   

*****
   

〜 知識の獲得 〜
 
  

震災と原発事故後、
私は幸いにも、
スタンダードとなっている
放射線に関する情報に触れることができた。

放射線について検索をかければ、
武田氏のブログがトップに出てくるような、
そんな2011年の春、
武田氏の記事に違和感を感じながら、
検索をかけ続けていて、
私は田崎先生のサイトにたどり着いた。

そこには、放射線の種類や半減期のこと、
預託実効線量のこと、
そういうことが書かれていた。
まさか、自分が原発事故の当事者になるとは
考えたことも無かった私には、
それらのことは、はじめは難しい内容だった。

でも、これは誰のためでもない、
大げさではなく、私の人生をかけた学びなのだと思って、
学んだ。
受験勉強もこれくらいがんばってやればよかったと
そう思ったくらいだった。
とにかく、生活がかかっているんだ。
自分はどうすればいいのか、
私の今までのここでの生活を変えなければならないのか、
今まで蓄積したすべてのものを捨てなければならないのか、
とにかく、知りたかった。
誰かが判断したことを教えてほしいのではない。
判断するのは自分だ。
知りたいのは、判断するための知識だ。
科学的な知識だ。

今思えば、かなり気負っていたなと思う。
でも、当時はその気負いが必要だったし、
アドレナリンを出し続けながら、
何が本当なんだと必死で探し続けた日々だった。

夫も同じ時期に田崎先生にたどり着いていた。
二人で相談したわけではない。
全く別々に放射線について調べていて、
同じ時期に田崎先生のサイトにたどり着いた。

何が本当なのか、いろんな情報が錯綜する中で、
「この先生の言っていることは、きっと確かだ」
と、私が思ったそのすぐ後に、
「この先生の言っていること、いいぞ!」と、
夫が私に田崎先生のサイトを紹介した。

「あらっ、私、そこ、前から知っているよ。
 書いてあること、納得いくよね」
と、ちょっと自慢げに言ったことを今でも覚えている。

武田氏や小出氏が席巻する当時のネットの世界で、
夫婦がほぼ同時に田崎先生のサイトにたどり着いたのは、
神様の導きかと思うくらいだ。
この幸運に心から感謝したい。
そして、何より、サイトで情報を公開してくださった
田崎先生に心から感謝したい。

そして、私はそこから枝葉を広げるように、
野尻先生、早野先生、菊池先生・・・へと、
知識の幅を広げていった。

しかし、
知識を獲得した私には、当時は気づかなかった落とし穴があった。
それが、本題です。


続く


2014.08.10 Sunday

被爆者代表の「平和への誓い」に思うこと

8月9日 長崎 平和祈念式典  被爆者代表の「平和への誓い」に思うこと

ほんとうは、きちんとした記事にまとめたいと思ったのですが、
眼底出血をして以来、眼精疲労がひどくなり、
長文を書くのが難しくなりました。
そこで、昨日(8月9日)にツイートしたことをまとめておくことにしました。

*****

被爆者代表 城台美弥子氏「平和への誓い」から、
気になった箇所を抜粋しました。

「私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。・・・小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます」

■ ご自身の被爆とお孫さんの死や、甲状腺がんのこと、もう少し慎重に発言してほしかったなと私自身は思います。
(誓い全文)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014080902000250.html

■ @kanjimansai 私はリアルタイムでは見てなかったんですけど、後で、全文を読んでどうして甲状腺がんを入れる必要があるのかと思いました。代表の方の経歴を見て、そうかと思いました。

■ (どうやって代表って選ぶんだろうね?平和祈念式典って、思想・心情に関係なく、亡くなられた方を心から悼み、平和を願う式典だと思っていたんだけど)

■ 自分用メモ:被爆者代表の方の名前がここにもあった。
http://www.zenshin-s.org/zenshin-s/sokuhou/2012/05/post-1583.html

■ 自分用メモ:ここの4ページめにも名前があった。
http://4754e3a988bc1d78.lolipop.jp/pdf/tsushin3gou.pdf

(長崎の方が市民として申し訳ないと@をくださった)
■ @masanochi どうぞ申し訳ないなどとおっしゃらないでください。あの式典には招待されて福島県からも子どもたちが参列していました。その子どもたちの前で発せられた言葉なのだと思ったら、私は胸が痛くなったのです。

(亡くなった方を静かに悼みたいという気持ちが届かなかった例として)
■ @marusihi 震災の翌年の3月11日、福島県の郡山市で原発反対の集会がありました。そのときすでに福島県は県内すべての原発廃炉を要請していたのにです。3月11日は津波や地震で命を失った方々を静かに悼む日でありたいという願いは届かず、デモが行われました。

■ @masanochi 長崎市が招待したのではなく、NPO法人の招待なのですが、それとは別に訪問した児童生徒もいました。甲状腺ガンについては、時間の経過からみて、原発事故の影響とは考えにくいとされています。デリケートなことなので慎重にと思いました。   @takotsubo_2011

■ @masanochi 私は当事者ではありませんし、式典のあり方について出すぎたことを言ってはいけないと思っています。ただ、一点、事実誤認を誘うような言い回しをしなくても、十分に核廃絶のうったえはできると思っています。差別や偏見と闘ってきた方々なら、わかってくださると思います。

■ @maiayumio 民報の記事によると、さだまさしさん関連のNPOが南相馬の小中学生を招待したとのこと。もう一方は南相馬や川内村の小中高生が訪問したとなっていました。特別に福島県の子どもたちが参列する意味があるのかなとも思います。子どものコメントを読むと微妙な気持ちになります。

■ @maiayumio 原爆の被害について学ぶこと自体はいいことだと思うのですが、被ばく量の違いなど、そういうこともきちんと教えないと間違った認識を持ってしまわないかと気がかりです。原爆による被爆と今回の事故による被曝の違いは大事な事実ですから。

■ @maiayumio 原爆投下によって亡くなった方、健康被害を受けた方、そういう方のことをきちんと学ぶことは大事だと思います。と同時に、被爆しながらも寿命を全うした方、元気に過ごしている方もいらっしゃると思うので、そういう事実を伝えることも大事だと思います。

■ 放射線 放射性物質 Q&A 長崎や広島の被ばく線量調査の方法は
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2014/08/post_10511.html
長崎で爆心地にいた人(外にいた場合)では約32万ミリシーベルト、1キロの距離にいた人では約860ミリシーベルト、2キロでは約140ミリシーベルトであったと考えられます。

■ 放射線 放射性物質 Q&A 長崎や広島の被ばく線量調査の方法は
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2014/08/post_10511.html
(一方)福島県民外部被ばく線量は、平均すると外部被ばく線量は0.8ミリシーベルト程度であり、99.8%の人が5ミリシーベルト未満であったと推定されています。

原爆投下による被爆と東電福島第一原発事故による被曝では、被ばく線量の桁が大きく違っていますこれをもって、原発事故そのものを免罪するものではありませんが、これも一つの事実であることは確認したいと思います。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2014/08/post_10511.html

■ 被害の体験者であっても、体験=正しい知識とは限らない。それは原発事故についても言えることで、体験者でも間違った認識を持っている場合もある。だから、体験した事実と体験者の主観は区別して聞く必要があると思っています。
 
■ ずっと欠かさず見てきた平和祈念式典だけど、去年からもう見ないことにした。原爆と原発事故を絡めて、印象で語ることが偏見を広めることになっていることに気づいてほしい。
   

2014.06.26 Thursday

2012.4.18に書いたこと

2012.4.18 今から2年前に書いたこと。
今は閉じてしまったブログに書いたこと。
あれから、2年以上たって、何が変わり、何が変わらなかったんだろう。

*****

今、叩いても誰も文句を言わないもの、な〜に?

まず、国
それから、東電
それから、原発

国が悪い、東電が悪い、原発が悪い、
そう言って、
パージされることはないだろうな〜今は、たぶん。

原発事故前なら、覚悟がいったかもしれないけど、
今は、そんな覚悟なんかなくても言えると思う。

原発事故後、
急に、
東電を叩く歌を歌ったり・・・、
原発反対とか歌ったり・・・、
そういう人たちがいるけど、
そういう人たちは「ロック」って言わないでほしいな〜。

あっ、これは私個人の意見ですけどね。

歌っても叩かれないような歌を歌って、
「反体制社会派ロック」みたいな顔をしているのって、
私は、すごくかっこ悪く見えるんだけど。

今、言ったら叩かれることって、なんだろう?
    
   
  オレのダチ公が言うんだ 

  福島の米、食いてえ
  福島の桃、食いてえ
  宮城と岩手のがれきは、がれきじゃねーぞ
  被災財なんだ バカヤロー
  見世物じゃないんだよ 福島も東北も

  そうさ オレは 考えなかったさ
  ステージを照らす電気がどこからきてたのか

  オレはわかんないさ
  仮設がどんなに寒かったか
  オレはエアコンつけて
  酒飲んで
  ベッドで寝てるんだ

  わかってるなんて 口が裂けても言えないさ

  自分の頭をぶん殴ってからじゃなきゃ歌えネェ
  何をやってたんだ おまえは!って

  自分が映る鏡を拳でなぐって
  血が流れたら
  少しは傷みがわかるだろうか

  オレは なんにもわかんない
  わかるはずがない
  それだけは わかる

  だから

  オレは 
  今ごろ何を歌ってるんだと言われても
  「女」の歌を歌う

  わからなくて ごめんと
  自分の胸を拳でたたきながら
  甘ったるい「女」の歌を歌う

  甘ったるい「女」の歌にうそは無いから


       
ロックってなんだろうね?
誰も、こういう歌、歌ってくれない。
2012.4.18

       

2014.03.16 Sunday

福島県外から危険を訴える方々に考えていただきたいのは

2012年3月22日・今から2年前に書いたものです。
事情があって休止したブログから転載しました。
2年前に書いたものですが、2年たった今もこの状況は続いています。

*************

福島県外から危険を訴える方々に考えていただきたいのは

2012年3月22日

そろそろこのブログも潮時かなと思っています。
あと少し伝えたいことがあります。
それがすんだら、ここを長期休業にしたいと思います。
今まで、お立ち寄りくださったみなさま、本当にありがとうございました。
あとほんの少しだけ、お付き合いくださいね。

これからは、福島市に住むかたの実際の声をお届けしようと思います。
今回は、福島市にある地元テレビ局の報道部長さんの連続ツイートです。
   

福島のテレビ局ベテラン報道記者大森さんによる魂の雄叫び     

・この事故以降、私の「反原発・東電不信」のスタンスは堅固なものとなった。だが今、声を大にして言いたいのは「反原発への思いと、今回の事故による放射線の影響、ひいては健康への影響を混同してはいけない」と言うことだ。(続く)

・「空間線量×時間」との机上の計算ではなく「実際の」外部被ばく量を示すバッジ、内部被ばく量を示すWBC、経口量を示す陰膳調査、吸入量を示す大気中の降下量、明らかになりつつある数値は全て「健康被害はまずあり得ない」ことを裏付けている。(続く)

・言葉は悪いが、「ラッキーなほど」被ばくしていない。チェルノでは土壌の汚染でゾーニングして、避難させた。福島市にはそのゾーン2やゾーン3のところが点在しているが、実際の被ばくはチェルノの当該ゾーンよりケタ違いに低い。それも1ケタじゃない。(続く)

途中、諸略

・ようやく連ツイも結論に近づいて来たが、福島県外から危険を訴える方々に考えていただきたいのは、「貴方がたのツイートが福島に住む人や福島を後にした人に、どれだけストレスを及ぼすか」と言うことだ。(続く)

・福島に住む者は、放射線の影響に対するリテラシーは総じて高いレベルにあると思う。以前赤提灯で飲んでいたら隣の席で「バンダジェフスキー論文は妥当か否か」を議論していた。赤提灯でこんな飲み話が出る地区は他になかろう。(続く)

・それでも、外からいろいろ言われるとストレスになる。「29年来反原発かつ今の状況はラッキー」の私すら、そうしたツイートや報道を見るたび「ああ、これでまた福島県に住む人の平均余命が○分縮んだなあ」と考える。これが今の私の最大のストレスです。(了)

大森さん宛てに私が送った返信

私は、福島をより悲惨なところにすることで反原発運動を推し進めようとするならば、それは違うと思っています。私は原発には反対ですが、それと今福島で検証されつつあるデータを冷静に見ることは矛盾しないと思っています。

*****

昨日、夫と話した。
私たちが学生のころ、沖縄県の基地のことを
原爆のことを 語ったりしたよね。
沖縄返還とか、核兵器廃絶とか、
それを声高に叫んだりしたよね。

自分たちはいいことをしていると思っていた。
でも、そこに暮らす人たちの声を聴いたりしなかった。
沖縄返還とか、核兵器廃絶とか、
そういうスローガンでは語りつくせない複雑な現実があったはずなのに、
そういうことに思いが至らず、
自分たちのかかげる「正義」が正しいと信じていた。

自分たちがかかげた「正義」が、
そこに暮らす人たちを深く傷つけていたかもしれない、
深い絶望感を与えていたかもしれない、
そういうことにまったく気づいていなかった。

原発事故の当事者になって、はじめてそのことに気づいた。
なぜ当事者の方々が語ろうとしなかったのかもわかったような気がする。 

思い込みの「正義」の前に、
自分たちの現実の声はかき消され、
「あなたたちはわかっていない」と「あなたたちを救いたいのだ」
と言われることの絶望感。

私は、そのことに気づかずに一生を終えたかもしれない。
そのことに気づいただけでも、よかったと思う。

   

2014.02.04 Tuesday

子どもたちが絶望感を持つことのないように

以下の記事は、2011年7月20日に書いたものです。
原発事故から約4ヶ月たったときに書いたものです。

私がずっとツイッターを続けてきたのは、
タイトルにあるとおり
「福島に生きる子どもたちが絶望感を持つことのないようにしたい」
その願いがあったからです。
何度もツイッターをやめようと思いましたが、
やめられなかった、その基になるものは、その気持ちでした。

もう、2年7ヶ月前の記事ですが、再掲いたします。

*****

子どもたちが絶望感を持つことのないように
  
2011年7月20日       

今、福島県の比較的放射線量の高い地域に住む親御さんで、
わが子のことを心配しない方はいないと思う。

ここにいてもいいのだろうか
何を食べさせたらいいんだろう
将来、影響は出ないのだろうか
どうして、この時期に産んでしまったんだろう
とまで思うお母さんもいらっしゃるかもしれない。
   
そして、
   
子どもたちにも
いろんな注意を与えていると思う。
マスクをしなさい
土に触っちゃダメ
手を洗いなさい
    
でも、
子どもたちは親が思う通りには動かないことも多い。
土のついた手で帰ってくることもあるかもしれない。
「どうして、お母さんの言うことを守れないの。
守らなかったら、死んでしまうかもしれないのよ」
思わず、そんな言葉を吐いてしまうこともあるかもしれない。
   
先の見えない毎日は絶望感にかわり、
それは、子どもたちにも伝わる。

どうせ、私たちに未来はないんだ・・・
そんなすてばちな気持ちを持つ子どもたちも増えるかもしれない。

私には子どもはいない。
だから、子を持つ親の気持ちを理解しようとしても
きっと、まるごとは、理解できないと思う。
どんなに理解しようとしても、
悲しいことだけれど、
体験したものでないとわからないこともある。
私は20年以上になる壮絶な痛みとの戦いの日々をふりかえって、
そう思う。
でも、だからといって、
誰にもわからない、わかってほしくないとは思わない。
ともに傷みを分かち合おうとさしのべられた手を
私は握り返したい。

ここで、私は、私の家族のことを話したい。

私には2つ違いの妹がいる。
今年56歳になる。
バシバシ仕事をこなし、海外にも遊びに行って
パワフルに生きている。
私よりも元気だ。
でも、彼女は、生まれた直後、
幼稚園までしか生きられないと言われた。
50年以上前の医学では、
彼女を治す手段はほとんどなかった。
この世に生を受けたわが子が小学校に入学することもできず
死んでいくと宣告されたときの両親の気持ちはどんなだったろう。

父は医学情報を集めまくり、
仙台、東京の大学病院まで妹をつれていった。
でも、答えは同じだった。
6歳までしか生きられない。
見た目はどこも悪くない、
なぜ、そんなことがおきるのか、
その当時の両親の葛藤をこの年になって私は思う。

妹は行動も制限された。
してはいけないことも多かった。
ものごころついたころには、自分自身の病気のことを知らされた。

でも、彼女には絶望感はまったくなく、
だれよりものびのびとくったくなく日々を暮らし、
だれにでも愛される、あいくるしい子どもとなった。

それは、両親が絶望してなかったからだと思う。

もしかすると、深い絶望があったのかもしれない。
しかし、両親はそれをまったく感じさせなかった。
してはいけないことが多いわが子だけれども、
たとえ、周りの子どもたちと同じことができなくて、
卑屈にならないようにした。
走ってはいけないはずの妹が、
学校から走って帰ってくることもあった。
母は、きっと、「あ〜」と思ったことだろう。
でも、母は怒らなかった。
笑いながら、
「しょうがないわね、ほんとは走っちゃだめなのよ。
次はしないようにしようね」
と、言った。

そして、

妹は、誰にも負けない天真爛漫さでまわりの人間を和ませる子どもになった。

そのころから50年以上たって、
医学は信じられないスピードで進歩し、
当時、手術の成功例はほとんどないと言われていたものが、
今では、ある程度設備の整った病院であるならば、
対応できるまでになった。
10年と言わず、医学はどんどん進歩していく。

妹は、成長の過程でいろんな偶然が良いほうに重なり、
何の問題も無く日常をおくられる大人になった。
そして、今、中高年にもなった。
やがて、生まれたときには無理と言われていた
おばあちゃんにもなるだろう。


私は、
今福島県に暮らす子どもたちの未来を見届けられるかどうかわからない。
でも、願いがある。
自分たちの置かれた状況がけっして楽観的なものでなかったとしても、
子どもたちに絶望感だけは持ってほしくないし、
大人たちは絶望感を伝えてはいけないと思う。
少なくても、不確かな情報のもと、
放射線の影響で、「もう、子どもは産めない」とか、
「いつか、ガンになって死ぬ」とか、
大人は言うべきではないと思う。

子どもたちの安全を守るためにと思うあまり、
子どもたちに絶望感を持たせてしまうことのないように・・・
と、私は願う。



*****



追記・・・2014年2月4日

この記事を書いてから、2年7ヶ月が過ぎようとしています。
読み返してみると、原発事故から4ヶ月後のこのころは
私自身、まだまだ緊迫した精神状態だったのだということがわかります。

でも、その後、初めはわからなかったことが、
徐々にわかるようになっていきました。

予想よりもはるか被曝量が少ないこともわかってきました。  
WBCによる検査・個人線量計による積算線量の把握など、
様々なデータがそれを示しています、   

そして、原発事故由来の被曝によって健康被害が出る可能性は 
きわめて低いと言われるようになってきています。  

それは、事故によって発生した放射性物質の多くが海側に流れたことや、
食品流通の管理がなされたことや、生産者の努力など、
複数の要因が重なって得られたものだと思います。

あってはならない事故でしたが、
その中でも、
少しでも被曝による被害をくい止めようとした人たちの日々があったと思います。

事故から3年になろうとしている今、
様々なデータが示され、事実が提示されているにもかかわらず、
それでも、なお、
福島に暮らす子どもたちの未来に呪詛のような言葉を発する人たちに、
私は怒りを感じます。
・・・と同時に、
今も子どもたちの将来に不安を感じている親御さんに対して、
どのようにアプローチしていけばいいのか、
それを考えています。

 

 

さらに追記・・・ 2017年2月11日

 

 

 

 

2013年福島市あづま運動公園の親子

 

原発事故から2年後、

福島市内の公園ではすでに親子で遊ぶ姿が見られました。

無知だから公園で遊ばせているのではありません。

公園の空間放射線量は

子どもを遊ばせても問題ないくらいに低下していたからです。

 

福島市のある若い父親が言っていました。

「子どもを怖がらせて暮らさせてもいいことないからね」と。

 

成長期の子どもにとって何が必要か考え、

必要だと思うことを実践しているのです。 

 

2017年2月、原発事故からもうすぐ6年です。

この写真を撮った時からすでに3年以上過ぎました。

子どもたちを取り巻く環境は改善され、

外で遊ぶことになんの問題も無い状態です。

 

外遊びを強制しているわけではありません。

個々の家庭での判断があるでしょう。

ただ、

福島の子どもたちは自由に外遊びができない

そういう事実はないことをお伝えしたいと思います。

 

      

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