2013.12.18 Wednesday

「八重の桜」感想 その1

「八重の桜」全50話が終わりました。
1年間見続けて感じたことを
私自身のための記録として書いておこうと思います。
「そうではないだろう」と思われるところもあるかもしれませんが、
これは、あくまでも、
私自身のための記録ということで、ご了承いただければと思います。

*****

最終回後、山本むつみさんが、
「描きたかったのは、懸命に生きる人々のけなげさだったような気がする」
と福島民報のインタビュー記事で語っていた。

そのインタビュー記事を読んで、
私が「八重の桜」にずっと感じていた
違和感の理由がわかったような気がした。

実際の八重は、けなげな人間だったのだろうか。
けなげさの対極にあり、
そして、それが彼女の魅力だったのではないだろうか。

八重は自分がしたいと思ったことは、
周りを蹴散らしてでもやりとげようとする。
その結果、自分がどう思われようとかまわない。
その肝の据わり方は並大抵のものではなく、
そこに、襄は魅力を感じたのではないかと私は思っている。

女だてらに鉄砲を撃ち、篭城戦を闘い、
京都に移ってからも、
周りの評判など気にせず、
前へ前へと進んでいく、
そういう強いオーラを放つ人間だったのだろうと思う。

もしも、震災後の復興とは絡めずに、
八重の波乱万丈の生涯をそのまま描いたとしたら、
その生き方に賛否はあっても、
「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラのように、
魅力的な主人公になったような気がする。

しかし、むつみ氏が描きたかったのは、
「懸命に生きる人々のけなげさ」だった。
当然、主人公である八重はそのけなげさの象徴になる存在であり、
アイコンにならなければならない。

そのためか、
会津編の中では、
改良した鉄砲を認められずに憤慨する尚之助に、
「わだすがずっとお手伝いいたしやす」と寄り添う姿が描かれ、
藩の重役に進言しても聞き入れられない夫の心情を思いやる妻
として描かれたりしたのだと思う。

しかし、
篭城戦が始まるころから、だんだん八重の立ち位置が迷走し始めた。
視聴率云々が言われ始めたころだった。
それまでは、まがりなりにもけなげさを示していた八重だったけれど、
徐々にシュワちゃん化していき、
ドラマの中でも八重の手柄を強調するようになっていった。

私は、当時、何でも八重の手柄にするような流れが、とてもいやで、
そんなふうにしなくても、十分に八重の存在感は示せるはずと書いた。
私は、そのときはまだ、八重の中に「気は強いけれどけなげな会津の女」
を求めていたのだろう。

しかし、
八重が主人公としてクローズアップされるにしたがって、
けなげさとかかわいらしさとか、
そういうものからは離れていく八重にならざるをえなかった。
実際の八重は、たぶん、そういう人物だったのだろうと思うので、
もう、けなげさの象徴ではなく、
蹴散らして前に進んでいく、
そういう八重に完全にシフトしていってもよかったのかもしれない。

スカーレット・オハラになってもよかったのではと思う。
南北戦争ですべてを失ったスカーレットは、
もう家族を飢えさせない!と、まなじりを上げて言う。
そして、更に強い女になっていく。

敗戦後、八重もまなじりを上げて言う。

わだすは諦めねぇ。
会津は逆賊ではねぇ。
この汚名は絶対に晴らす。
どんなことをしても、家族はわだすが守る。
死なせはしねぇ。
わだすは、もう、今までの八重ではねぇ。

スカーレットと同じように、
けなげさとは無縁の強い女、八重の誕生。

しかし、ドラマ中の八重はそうはできなかった。
八重は会津そのものという設定になっていた。
会津そのものとされた主人公は、
脚本家が描きたい「けなげさ」を捨てるわけにはいかなかったのだと思う。

つづく

              
2013.11.12 Tuesday

夢☆尚さんをモデルにしたオリジナルドラマ/その2

だいぶ、間があきましたが、続きを書きます。

11月に入ってからの「八重の桜」
何を描きたいのか、私にはよくわからなくなりました。
サブタイトルも、なぜそのタイトルなのだろうかというものもありました。
時栄役の美月さんの演技はすばらしかったし、
それはそれで見ごたえがありましたが、
それをここで描く必要があるのだろうかとも思いました。
実際にそういうことがあったのかもしれませんが、
もっとほかに時間をさくべきことがあるのではないかという感想を持ちます。

何より、会津はどうなっているのだろうと思いますし、
篭城戦を戦った人たちのその後はどうなったのだろう、
斗南に残った人たちはどうなったのだろう、
山本家の家族の事情よりも私はそちらのほうが知りたい、
そう思います。

同志社をとりまく困難も、私には切実に伝わってきません。
八重の存在は、会津編よりも下がってしまったように思います。
群像劇として描かれた会津編では、八重の出番は少なかったですが、
その中で、八重は生きていたと思います。
京都編になって、八重の露出は増えましたが、
八重が生きているという感じが私にはしないのです。

それから、
覚馬はもっと魅力的な人物のはずだし、そう描かれるはずだったと思います。
尚さんのように最後まで美しく生きることはしなかったかもしれませんが、
白と黒とグレーの部分をあわせ持ち、現実を変えるべくしたたかに生きた、
そういう男の魅力を西島さんなら出せたはずだと思うのですが、
西島さんが気の毒になるような描き方だなと思います。
家では良い夫ではなかったかもしれないけれど、
京都という地のために奮闘した男の魅力が伝わってこないのです。

京都編では、何を描きたかったのか、何を伝えたかったのか。

そして、やはり、私は夢の続きを思います。

敗戦後も会津にとどまり、会津再生のために奮闘した、
そういうオリジナルキャラクター夫婦が主人公という夢の続きを思います。

他藩から会津にやってきて、やがて藩士となり、
会津の女性と夫婦になり、
篭城戦を戦い生き残り、
妻とは一時離れ離れになるけれど斗南で再会し、
やがて、共に、会津の地で生き、そこに眠るある男と妻の物語。

斗南では餓死寸前の過酷な状況でも、
誇りを失わずに夫婦助け合って生き、
やがて、会津に戻った二人は、会津再生のために働く。

そういう二人のモデルとなる人達はたくさんいたはず。
そういう市井の人たちこそ主人公であり、希望なのだと思います。

「八重の桜」は、震災があったからこそ作られたドラマだと思います。

震災後、ここ福島に生きる無名の人たち、
そして、今は故郷を離れていても、福島を思う人たち、
ここを故郷にしない方でも、福島を思い働いてくださる方たち、
そういう人達の姿こそ、希望なのだと思うのです。
私は、今、福島市に住んで、そう思います。

きっと、幕末から明治にかけても、そういう人達はたくさんいたはず。
そういう人達の象徴としてのある夫婦の物語、
そんな大河であったらいいなと、私は思ってきました。

たぶん、視聴率は取れないかもしれません。
実際には、オリジナルキャラクターを設定し、ストーリーを作り、
脚本を完成させるための時間的余裕はなかったと思います。
だから、これは夢です。

でも、私は、長谷川さんと綾瀬さんがその夫婦となり、
やがて会津の地に眠る・・・
そういうドラマを見てみたかったと今でも思っています。

     

            

2013.10.17 Thursday

夢☆尚さんをモデルにしたオリジナルドラマ/その1

私には夢があります。

尚さんをモデルにしたオリジナルキャラクターで、
会津を舞台にしたドラマをつくってほしいなという夢です。

八重の桜が大河に決まったとき、私は複雑な心境でした。
決定から放送までの期間が短いなということと、
八重が主人公でいいのだろうかということ、
そんなことを思いました。

はるかちゃんは大好きだし、
がんばってくれたし、
八重の桜があったからこそ、
会津は注目され、
訪れてくださる方も増え、
尚さんの名誉も回復されたし、
やっぱりこの時期しかなかったのかもしれないな、
そうは思うのですが、
でも、もう少し検討する期間があったらなと思いました。

八重が主人公となれば、
会津戦争後は舞台は会津から離れます。
各地に散っていった会津藩縁りの人たちの奮闘を描くというのも、
それもいいのかもしれないです。
でも、私は、
戦場(いくさば)となった会津が、その後どうなっていったか知りたいし、
会津に住むことを選び、
そこで、会津を今の会津にするために奮闘した人たちの姿を描く、
そういうドラマを見たいなと思ったのでした。

かつて、大河ドラマ「獅子の時代」では、
会津を舞台にしてオリジナルキャラクターでストーリーが作られました。
ただ、そのときも主人公は会津から離れ、
各地を転々としながら波乱万丈の人生をおくるというものだったと思います。

私は、福島市に住み、ここで、震災後も暮らしてきました。
今は、落ち着いた生活ができていますが、
ここまで来るのには、たくさんの(無名の)人たちの「がんばり」がありました。

もしも、震災後の復興を願うという大河ドラマを作るのであれば、
そこに住む市井の人たちの姿に光をあてたドラマを作ってほしいと思いました。
会津戦争後、
そこには名を残すことはなかったけれど、
その地の再生のためにその地で一生を終えた人たちがいたはずで、
舞台は幕末であっても、その姿は今に通じるものがあると思ったからでした。

八重の桜が始まって、
私は、尚之助の存在を初めて知りました。
長谷川さん演じる尚之助を見て、こんな人がいてくれて、
戦後の会津再生に力を発揮してくれたらどんなにいいだろうと思いました。

そして、私は、ある夢を持つようになりました。

続く

2013.10.16 Wednesday

会津に帰りたかったよね、きっと

フィギュアスケートのシーズンになり、
超軽〜いフィギュアファンの私なんですけど、
気持ちはフィギュアのほうにシフトしがちです。

フィギュアファンの方のブログをめぐるのも楽しみの一つで、
ああ、こんな見方をなさっているんだなとか、
自分と違う考えを拝見して刺激を受けています。

そういうフィギュアファンの方のブログの一つに、
いつもそっとうかがっているところがあって・・・。
その方は、冷静に感想を書いてらっしゃって、
私もこんなふうに書けたらいいなといつも思います。

それで!なんと!その方が尚さんが好きでらっしゃって、
ノベライズも小説もいろいろ読んでらっしゃるんです。
そして、フィギュアの感想の合い間に、
「八重の桜」の感想も書いてらっしゃるんです。

昨日、うかがったら、ノベライズの感想を書いてらっしゃって、
「襄と行く会津」について、こんなふうに書いてらっしゃいました。

 尚之助が帰りたかったのはきっと、会津の、あの角場だと思うから。
 何か歯車が一つちがえば、「尚之助と帰る会津」だったかもしれない……。
 尚之助が生きていたら、
 京都に行くのもいいけれど、会津の復興に尽力したのでは?

前後にもっとあるのですが、
一部だけ引用させていただきました。
※ 本文はこちらに↓ 
   http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-2750.html

私、泣けちゃって、
尚さん、会津に帰りたかっただろうなって。

八重と会津に帰って、
戦場(いくさば)となって荒れた会津を少しでも元に戻したい、
そう思って、働いただろうなって。

詐欺事件にさえ巻き込まれなければ、それも可能だったんだ。

廃藩置県で斗南藩が無くなった後、
藩士たちの中には会津に戻った人たちもいたわけで、
尚さんは、きっと、会津に帰って働いただろうなと思いました。

尚さんほどの知識があれば、都会に出て名を残すことも可能だけれど、
たぶん、尚さんはそういう道を選ばずに、
市井の人として、会津に骨を埋めたような気がします。

そして、いつも、その尚さんの隣には八重がいて、
尚さんのやり方に文句を言う人がいると、
「なじょして、そういうごどを言うんだべ!
 尚之助様を悪ぐ言うやづは、わだすが許さねがら」
と、仁王立ちするので、
みんな、
「籠城戦で、鉄砲撃ってだおなごにはかなわねな」
と退散してしまう。

そんな八重に、尚さんは
「八重さん、そんなに怒らなくても・・・」と言い、
八重は、
「甘いごど言ってだら、いづまでたっても事は進まねがらし。
 わだすが、矢面に立ぢやす。まがしてくなんしょ」
と、たくましく笑う。

そんな二人を会津で見られたら、幸せだったな・・・なんて。
こんなこと言ってもどうしようもないことなんですけどね。
でも、尚さんは、きっと会津に帰りたかっただろうな、八重といっしょに。

そんなことを思って、泣いちゃいました。

        

2013.09.04 Wednesday

あえて 覚馬に望むこと

整理できないままに、今の気持ちを書きます。
でも、これはあくまでも私の想像ですし、事実は藪の中です。
ただ、ドラマの中での覚馬はこうであってもよかったのではと思い、
メモとして残しておきます。

*****

あんつぁまは、潔く悪役に徹すればいいと思う。

ドラマでは確かめられていないことを創作して、
エピソードとして入れている。
再会はあったかどうか定かではない。

でも、再会があったかどうかに関係なく、
覚馬は、尚之助の状況を知っていたと私は思う。
少なくても知ろうとしたと思いたい。
それもしなかったとは思いたくない。

おおよそのことはわかっていたけれど、
彼はあえて関わろうとしなかったのではないかと思う。

借財の大きさ、勝ち目のない裁判、
八重のことが知れれば、山本家にも累が及ぶかもしれない。
自分が動くことで八重が尚之助の現状を知るかもしれない。
そうなれば、八重は尚之助のもとに行こうとするだろう。

被告人の元妻としての暮らしがずっと続く。
その暮らしが続けば、
互いに相手を疎ましく思うようになるかもしれない。
それは尚之助が一番避けたいことのはず。

尚之助は八重や山本家に累が及ぶことを一番さけようとしているはず。
そして、
俺も今は尚之助と関わることで、新政府から目をつけられたくない。
(永岡の動きも覚馬は知っていたと思うから)

そんないろんな思惑から、
あえて、覚馬は尚之助との関わりを断った。
八重にも知らせなかった。


覚馬は心の中ではそういう自分をずっと責め続けていた。
でも、覚馬は京都での暮らしの中で、
理想や高い志だけでは、ことは成就しないことが身に沁みていたと思う。
目的を達成するためには、切り捨てなければならないものもある。
今の自分が為すべきことのために、
あえて、尚之助を切り捨てることもしなければならない。
自分はそういう闇の世界にも足を踏み入れたんだ。

「尚さん、俺を恨め。俺はひでえ男だ。でも、これが俺の選んだ道だ。
俺は一生この気持ちを抱えで生きでいぐ。
この気持ちに救いを求めようとは思わねぇ。
俺は死ぬまで救われないままでいい。
あの世に行って、尚さんに謝ったときに初めて救われる。
それでいい。
でも、尚さんは、そんな俺に言うだろうな。
『覚馬さん、それでよかったのですよ。
それこそ、私が選んだ道です。
覚馬さんや八重さんに累が及んだら、
私は死んでも死に切れませんでしたからね』
尚さん、おめぇはそういう男だ。
尚さんはずっときれいなままで死んでいったな」

尚之助の死を知った覚馬は誰にも気づかれないように、
独り、見えない目から涙を流す。
そして、嗚咽と共に床に倒れこむ。

しかし・・・、

実際のドラマでは、覚馬が、尚之助の死を戦死だとか、
報いてやれなかったとか、
そういうことを言う。

でも、私にはそれが覚馬の自己弁護に聴こえてしまった。

尚之助の死は戦死ではないだろう。
戦死と言えば名誉なのか。
そんなことはないだろう。
籠城戦ではたくさんの人が命を落とし、
斗南でも飢餓のためにたくさんの人が命を落とした。
その中で、尚之助は生き延びた。
生き残った大事な命だ。
まだまだ生きられた命だったと思う。
それを周りの思惑で助けてやれなかった。
そういう死だと私は思っている。

尚之助は自分のプライドのために、援助を断ったという設定・・・、
そうだろうか?
それも敗者の中の勝者のいい訳に聞こえる。

尚之助は生きたかっだろうと私は思う。
「もっと洋書を読みたいな、
ご飯をおなか一杯食べたいな、
着物もこざっぱりとしたものを着たいな、
まわりに迷惑はかけたくないけれど、
せめて、人並みの暮らしをしたい。
もっともっとこの世の中を見ていたい」

尚之助はそういう普通の人間だったのではないかと私は思う。

あらゆる援助を拒み、
自分を責め続け、
自死に近い形で死んでいく、
そういう尚之助像は、敗者の中の勝者が描く、
自分に都合のよい尚之助像ではないだろうか?

再会のシーンや、最期のシーンは、
長谷川さんの圧巻の演技で、
名場面として心に残るもとのなった。

その場面だけを切り取れば、あってよかったと思うけれど、
そのことによって別の齟齬が生まれてくる。

当然、八重から尚之助の窮状を聴いただろう覚馬。
八重に助けてやってほしいと懇願されただろうと視聴者は思う。
しかし、援助された形跡はないまま、尚之助は死んでいく。
どうして何もしなかったのか?という疑問を持つのは普通だと思う。

仮に、再会を描くなら、
尚之助が助けを拒んだというような安直な展開にせずに、
覚馬が心を鬼にして、尚之助との関わりを断ち、
八重にも決して関わるな、それが尚さんの気持ちに報いることだ、
そう言って八重の行動を押し留め、
尚之助の死後、二人はそのことを十字架としてずっと背負っていく、
そういう姿を描いてもよかったのではと思う。
誰にも話さず、死ぬまでそのことには救いを求めない、
苦しみ続けること、それが自分たちにできる贖罪だ。

そして、やがて、その苦しみの中で、
二人は、新島襄に、キリスト教の教えに出会う。

新島襄は、二人に、
十字架を背負って生きることを尚之助は望んでいるだろうかと
問いかける。
自分(尚之助)が輝いていたころのことを思い出してほしいと思うのではとも。

勝手ながら、こんな展開を作り、私は自分をコントロールしている。

だから・・・、

再会の回、そして、今回の覚馬の台詞には、
私は納得がいかなかった。

尚之助をたたえるようなことを言いながら、
実は、自己弁護をしている男に見えた。

俺はダークサイドに片足をつっこみながら生きていくぞ、尚さん。
あの世で、「尚さん、すまながったなし」と言わせてくれ。

そういう覚馬だったら、魅力的だし納得できると私は思った。

    

2013.09.01 Sunday

凛々しい夫でした

    

☆ 大きめの画像は、こちらを。
      
尚さん、あなたは、妻を後ろから見守る凛々しい夫でした。
   

my ツイッターから

■ とても難しい役だったと思います。いい人を演じるのは難しいと思います。こんな人いるわけ無いじゃんと言われるか、こんな人がいたらいいなと思わせるか、そこが役者の力量だと思いますが、長谷川さんは見事に後者だったと思います。

■ 本当はもっと違った形で記念の画像を作ろうと思ったのですが、(再会の)動画を作ったところでエネルギーが切れました。構想としては、暗い画面に尚さんの顔を大きく薄く配置して、尚さんの全身を小さくクッキリ被らせるだったのですが、いい画像が無くて・・・。

*****

Be a Legend 伝説になれ

大河史上、
登場する前と後でこんなに評価が変わったキャラクターは無いと思います。
これは、一つの伝説になるでしょう。

そして、
他のキャラクターはその人生がほぼ周知されている中、
どんな人生(未来)を描かれるか未定のまま、
尚之助を演じきった(生きた)長谷川さんでした。

私たちの人生はすべて未定です。
自分の未来はわかりません。
長谷川さんは、
まさに、長谷川尚之助として、ドラマの中で、
その未定の人生を生き、記憶に残る人となりました。

これから先、大河ドラマの歴史を語るとき、
きっと、伝説として語り継がれる一人となると思っています。

      
2013.08.20 Tuesday

再会シーンをまとめてみました

       
  
※ サムネイルになっているので画像をクリックして拡大してご覧ください。

尚さんと八重の再会シーンをまとめてみました。

「尚之助様、
 わだすは尚之助様に涙をぬぐってもらったごど、死ぬまで忘れねがらし」
そんな八重の声が聞こえてきそうな気がします。

何かを書こうとしても、何を書いたらいいのかわからなくて、
言葉にしたら陳腐になってしまいそうで・・・、
それで、画像を作りました。

私が100の言葉を綴るより、
二人のこの表情が全てを語ってくれるような気がします。

尚さん、あなたという人は・・・。
    

カラー版も作ってみました。

  

           

2013.07.23 Tuesday

川崎夫妻を想って

会津戦争が終わりました。

会津戦争が終わったら、
いろいろ言おうと思っていたことがありました。
会津戦争の描き方などに
「何か違うなぁ〜」と感じることがあったからです。

でも、
「鶴ヶ城開城」での尚之助の「んだなし」で
そういうものが全部吹っ飛んでしまって、
今はただ余韻にひたっている状況です。

目を閉じると、
いろんなシーンが浮かんできます。
この数ヶ月間、見るのがつらいと思うときがありましたが、
長谷川尚之助と綾瀬八重に助けられて見続けることができました。

ありがとう・・・。

最後まで、会津に八重に寄り添ってくれる尚之助に感謝し、
二人のことをずっと忘れないよという気持ちを込めて、
動画を作りました。
    


動画はこちらから → http://youtu.be/7nqqSNzazLQ

「川崎夫妻を想って」
幕末の会津を生きた川崎尚之助とその妻八重・・・
会津戦争下での二人のシーンを集めてみました。

バックに流れる音楽は・・・You Raise Me Up
トリノオリンピックで金メダルに輝いた荒川静香さんが
エキシビションで使った曲です。

    
   You Raise Me Up (歌詞/日本語訳)

   落ち込んで、心が疲れている時
   困難が訪れて、気持ちに余裕が無い時
   私は静かにここで待つわ
   あなたがやってきて、私のそばに座ってくれるのを
 
   あなたが支えてくれるから、私は山の頂に立てる
   あなたが支えてくれるから、私は嵐の海も歩いていける
   私は強くなれる、あなたが支えてくれるから
   あなたが支えてくれるから、私はいつも以上に頑張れるの


八重はポジティブで強い人間ですが、
八重がそう生きることができたのも、
尚之助の静かな支えがあったからこそと思っています。 
そして、
八重だけでなく、
ドラマを見ていたたくさんの人を
尚之助は静かに支えてくれていたのだと思います。
そういう気持ちを込めて、この曲を選びました。
       

合わせて、
以前作って公開していた動画も再度公開します。


動画はこちらから → http://youtu.be/TlntKshrHp8

「My Heart with You」
幕末の会津に咲いた二人の軌跡・・・
二人が出会い夫婦になるまでの軌跡をたどりました。

戊辰戦争さえなければ、
添い遂げることもできただろうにと思います。

バックに流れる音楽は・・・名前のない空を見上げて
玉置浩二さんが歌っています。


   名前のない空を見上げて(歌詞)
         
   ・・・
    
   
もしも夜空に星が輝いたら
   誰より先に君を思い出すよ
   もしも願いが一つ光り届くのなら
   何より先に幸せを君へと祈るだろう
   
   
名前のない星を見つけて
   君の名をつけたい愛しさとともに
   まぶた閉じて眠るときまで
   君の名を呼びたい
   Yes, I always call your name, your beautiful name.


尚之助は、ひとり、斗南に暮らす時も、東京に暮らす時も、
空を、夜空を見上げて、
八重を会津での幸せだったころのことを想ったのではないか、
そう思ってこの曲を選びました。
   

二人は別れ、
それぞれの道を歩みますが、
二人が会津に残した日々は決して消えないと思います。

「長谷川尚之助」のさわやかな生き方を想い、
私もそうありたいと思います。

     

2013.07.16 Tuesday

会津戦争で何を伝えたいのか

八重はドラマの主人公なのだし、
籠城戦で八重に焦点があたるのは当然だと思う。
それを非難しているわけではない。

ただ、
八重がいたから、八重が考え出したから・・・
と、そんなふうにしなくても充分に八重に焦点をあてることはできると思う。
会津戦争ではたくさんの人がそれぞれの持ち場で戦った。
その人たちは劣勢の中でも、なんとか活路を見出そうとしたと思う。
そういう人たちと共に戦った八重の姿を描いてほしかったと思う。

八重がシュワちゃんになるにつれて、
私は、この会津戦争は八重の活躍を見せるための舞台なのか、、
そう思うときがあった。

唐人凧をあげるシーンでも、
八重が誰かが唐人凧をあげているのに気づいて、
「ああ、戦の中でもこんなことをしようとする仲間がいるんだ。
すごいなぁ〜。わだすも子どものころ、あげだな。
会津は、うなだれてばかりいるわけじゃねぇ〜。
わだすもがんばっぺ」
であっても、よかったのではないかと思う。
(実際は、とても辛い凧揚げだったんだよね)
    
籠城している人たち、それぞれがそれぞれに戦ったのだから。

小田山への砲撃でも、
尚之助は、砲弾が届くかどうかなどを判断できる力は八重よりもあったと思う。
なんと言っても、日新館の教授なのだから。
八重が「届ぐべが?」と聞くと、
「きっちりと計算し角度を決めれば届きます。
八重さん、手伝ってもらえますか?」
と尚之助が言い、
いちかばちかでは無く、きっちりと着弾し、よし、やった!
であっても、よかったのではないかと思う。

会津は無謀な戦いをただただしていたわけではなく、
劣勢ではあったけれど、
冷静に反撃するところは反撃している。
そういう戦いもあったはず。

秋月にしても尚之助にしても、
八重よりもはるかに広い世界を知っているわけであり、
他にも、八重が持っていないものを持っている人たちが
たくさんいたはずである。
そういう人たちの活躍ももう少し描いてほしかった。

戦の中にあっても、八重はその人たちから学び、
自分を高めていく、
明日死ぬかもしれない状況であっても、
自分自身を成長させていく八重こそ、
一筋の光であり、希望なのではないかと思う。

藩の重鎮たちに大声でたんかを切る八重であってもいいと思う。
自分の知見をまわりに伝える八重であってもいいと思う。
鉄砲の腕を見せつける八重であってもいいと思う。
と同時に、
激情にかられて「負げねぇ!」と叫ぶだけではない八重、
共に戦う人たちから学び成長していく八重、
そういう姿を私は見たいと思った。

誇りを守るということは、
激情にかられて大きな声で叫んだり泣いたりすることではない。
自分を見失わずに、なすべき事をやりとげることで
守られるのだと思う。

なぜ、こんなにも時間をかけて会津戦争を描いたのか、
何を伝えたかったのか、
その答えがもうすく出る。

「義」のために無謀な戦いをし、
悲惨な結末になってしまった哀れな会津藩、
または、
「義」のために美しく散った会津藩、

私はどちらでもないといいなと思っている。

      

2013.07.12 Friday

最後まで寄り添った男



尚之助が八重と共に登場するのは、あと3回。
最後の1回は東京での別れのシーン。

最後の1回は別枠として、
二人が夫婦として登場するのは、あと2回。

私は、7ヶ月、この二人を見てきたんだなと思う。
こんなにも思い出深い存在になるとは思わなかった。
私は、今、動画を作っている。
二人の会津での戦いのシーンを集めて残しておきたいと思うから。

二人が共に登場することが無くなっても、
二人のことをずっと忘れずにいるために、
私自身のために作っておこうと思っている。

バックに流す音楽もいい曲を選べたと思っている。
荒川静香がトリノで金メダルを取ったときのエキシビションナンバーだ。
英語の歌詞を読んでみると、
八重から尚之助に宛てた感謝の言葉のようにも感じる。

あと2回分を追加すれば完成だ。
ときどき、作りながら涙が流れる。
私からも言いたい
「ありがとう、川崎尚之助。ありがとう、川崎夫妻」

震災以降、よく「寄り添う」という言葉を耳にする。
でも、「寄り添う」とはなんだろう。
何でも肯定すること、何でも受け入れること、
それが「寄り添う」ではないと思う。

尚之助は、
中にいては見えないことを根気強く言い続け、
会津生まれの人間とまったく同じにはなれないことを自覚しながら、
それでも、
会津という土地を愛し、そこに住む人たちを愛し、八重を愛し、
自分がやれることの最善をつくそうとした。
そして、最後まで「会津」を見捨てることをしなかった。

「寄り添う」とは、尚之助のようないきざまを言うのではないかと思った。

しかし、
彼の名誉はずっと汚されたままだった。
私は、福島県人として、何も知らなかったことを恥じ入るばかり。
「義にあらず」だった。

「八重の桜」の放映をきっかけに彼の名誉が回復され、
彼の為したことが少しずつ明らかになってきたことが、
何よりもうれしい。
今からでも遅くない。
「寄り添い続けてくれた」尚之助に感謝し、
彼のことを忘れずにいようと思う。

    

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Yuzu fairy
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