2017.04.11 Tuesday

私には願いがある

私には願いがあります。

その願いについて書く前に、

少しだけ東京電力福島第一原子力発電所について、

私が思うことを書きたいと思います。

 

東京電力福島第一原子力発電所は大きな事故を起こしました。

その事故によってたくさんの人が被害を受けました。

その被害は今も続いています。

だから、

どうして外部電源を確保する対策をとってくれなかったんだろう

など、いろんな負の感情があります。

でも、同時に、

福島市に住む私が、大好きなフィギュアをテレビで見て

「今日の結弦さんの演技、きれいだったな〜♪」

と思ったり、

「レパコのケーキ、おいしかった」

と言ったりできるのは、

今この時間も廃炉作業にたずさわっている多くの作業員のかたが

いらっしゃるからなんだとも思うのです。

さらに、

あの事故当時、自らの命を顧みず、

被害を拡大させないために働いた方たちがいるんだとも思うのです。

 

だから、

東京電力福島第一原子力発電所に対する感情は、

とても一言では言い表せない複雑なものなのです。

 

私の願いについて書く前に、

そういう複雑な感情があることをお伝えしておきたいと思いました。

 

 

*****

 

 

私には願いがある

 

私がお皿を洗い、夫が隣でコーヒーを入れているときでした。  

私はふと夫に言いました。

「いちえふ( 東京電力福島第一原子力発電所 )は、

 50年後どうなっているんだろうね?」と。

夫は、「公園になってるんじゃないか?」と言いました。

 

公園・・・、

 

夫が言った「公園」という言葉を聞いたとき、

私の脳裏に浮かんだ光景がありました。

 

たくさんの桜の木が植えられていて、

その桜は満開になり、

まるで「いわさき ちひろ」が描いた絵のような、

淡いパステル調の桜色に染まった光景でした。

 

そこには幾人もの人たちが集い、

風が吹くと花びらが舞う桜を眺めていました。

桜の木の先には穏やかな春の海も見えます。

親子連れの姿もあって、

「ここでね、事故の後、ひいおじいちゃんが働いていたのよ」

とちいさな我が子に話しかけるお母さんの姿も浮かびました。

 

 

 

私はいつの間にか泣いていました。

「そういう光景、見たいな〜。

 廃炉の後のいちえふを見たいな〜。

 見届けたいな〜。

 でも・・・、無理なんだ。

 50年たったら、

 私はそのとき110歳を越してしまうんだ」

そう思いました。

絶対に叶わない願いなのでした。

 

 

それから数日たって、

私は、いつものようにツイッターを見ていました。

そして、そのときふと思ったのです。

「絶対に叶わないことでも、たった一つだけ願いを叶えてあげましょう」

と神様が言ったら、私は何を願うだろうなって。

 

「私をあと50年生きさせてください。

 そして、いちえふの廃炉を見届けさせてください。

 廃炉の跡がどうなるのか見届けさせてください」

私は、そうお願いしたいと思いました。

 

そのとき私はもう110歳を越してしまうので、

たぶん車椅子で行くだろうな。

桜が満開の公園、

そこには東京電力福島第一原子力発電所があった。

複雑な思いがある場所だけれど、

今はこんなに桜が咲く公園になっているんだ。

 

私は車椅子から桜を見上げ、50年前のことを思い出す。

辛かったこと、

悲しかったこと、

怒ったこと、

励ましあったこと、

そして、支えられたこと、

いろんなこと、いろんな方のことを思い出す。

きっと、私は泣いてしまうだろう。

でも、その涙は悲しみとか怒りとか、そういう涙ではないはず。

 

そんなことを考えていたら、

本当に涙が流れていました。

 

叶わない願い、

でも・・・、きっと・・・、

私の代わりに見届けてくださる方がいる。

私のTLにいらっしゃる方のうちのどなたかは、

きっと見届けてくださるはず。

 

いちえふの跡地に立って、

「そう言えば50年も前のことだけど、あふらんというひとがいたな。

 廃炉を見届けたいと言っていたな」

そんなふうに思い出して空を見上げてもらえたら、うれしい。

 

             

2017.02.23 Thursday

2017/2/23 今日のメモ

〜今日のメモ〜 ツイッターは議論に向かない

 

■ 「ツイッターというのは言葉足らずになる必然があり、白が黒かの論争になってしまう。こっちもあっちもそっちも大事という話だったはずなのに、いつのまにか、Aをやればいい、いやBをやればいい、いやAはだめだ・・・、みたいになってしまう。AもBもそれこそCも、それを全部やってうまくいくんだよね〜、それぞれに得意なことでがんばろうよね〜とならずにね」と夫が言っている。私もそう思う。

 

■ その点、ブログはいいな。書き直しができるし、いきなり矢が飛んでくることもない。ツイッターのように強制的に私の言葉を見せられることもない。来たいと思う人が来たいときに来て読んでいく。私にはブログがあっているのかもしれない。

 

ツイッターは議論には向かないと思う。お知らせに使ったり、身近なできごとを報告したり、そういうことに使えばいいんだろうなと思う。

 

頂上を目ざす登山口は複数あるほうがいい。複数ある登山口から自分にあったルートを選べばいい。1つのルートが落石でふさがれたら別ルートに変更できる。1本のルートしかなかったら全員遭難という危険性もある。そして、明らかに危険なルートがあれば、やめるようにアドバイスしよう。

 

     

2017.02.21 Tuesday

2017/2/21 今日のメモ

〜今日のメモ〜  レールは複数ある

 

■ 避難した子どもへのいじめの時もいっしょ。一番大事なことは今深く傷ついている本人をこれ以上傷つけないこと。それが最優先。どれほどショックを受けているかわからない。強くなるのは傷が癒えてからで十分。そして、強くなくても生きて行ける社会にすることも大事。ニュースにするときは慎重に。

 

■ 私は放射線に対する知識はあるけれど、人前で関学の女子学生のような目にあったら、もう立ち直れないかもしれない。これは、本人に知識があるかないかは関係ない。知識があったところでこの屈辱はぬぐえない。そういう行為だということ。この報道で彼女がセカンドレイプのようになりませんように。


■ あれほどの屈辱を自力で跳ね返せというのは彼女を二重に傷つけることにならないか。そのとき周りにいた学生が無反応だったとしたら、それこそが問題。

 

■ 関学は、全力でその女子学生を守ってほしい。メディアや世間から。そして、全学生に向けて今の福島の現状を正確に広報すること。彼女が今後同じような理不尽な行為をされたとき「それは違う」と言える学生を育てること。それが、大学としてやるべきことだと思う。

 

■ 実際にひどい目にあっているときはそれに耐えるだけで力尽きてしまう。戦わなくてもいいんだよ。辛い時に逃げ込める場、相談できる場を作っておくこと、それが現実的に周りができること。

 

■ 福高生のような生徒がいることも大事。そして、彼らのようにまではできない生徒も大事。みんな大事な福島の子どもたちなんだ。「学んで強くなる」というレールだけではないんだよ、レールは複数ある。強くなれなくてもいい、そのときは助けるから、自分を責めないで、そういうフォローが必要なんだと思う。  

 

         

2017.02.20 Monday

静かにこの6年間を振り返る時間

戦うべきだと判断した時は、

私は一人ででも戦う。

 

戦う必要がないと判断した時は、

私は戦わない。

 

それを決めるのは私なのです。

 

そして、

スルーすることもひとつのやり方、

私はそう思っています。

 

私がアカウントを削除したのは、

ある方の引用RTが「直接の原因」ではありません。

その方の引用RTは、

どうしてそういう反応になるのか理解できないものでしたが、

似たようなことは今までもあったので、

スルーするということで対処できると判断しました。

引用RT全てに返事をしなければならないというわけではありません。

 

アカウントを削除したのは、もっと根源的な理由です。

 

今は静かにこの6年間を振り返る時間が必要だと思いました。

 

新たな試みも考えています。

 

いつか復帰するつもりです。